2023/1/25

安価なパック酒づくりから、伝統的製法の日本酒に原点回帰

フリーライター
赤字が膨らむ経営状態で家業を継ぎ、思い切った革新で経営回復へと導いた老舗「新政(あらまさ)酒造」8代目佐藤祐輔さんへのインタビュー。回復、発展の道のりを支えたのは、経営者としての視点と、日本酒の伝統を守りたいというものづくりへの思いでした。これまで行った決断の数々をお聞きしました。(前編)
INDEX
  • 家業を継ぐ気はなかった
  • 大きく方針を変え、経営回復へ
  • 連続性がなければ伝統ではない
  • 経営とものづくりは、車の両輪

家業を継ぐ気はなかった

創業170年「新政酒造」の8代目佐藤祐輔さん。老舗酒蔵に生まれ育ちながらも家業を継ぐつもりはなかったそうで、東京大学文学部を卒業した後はジャーナリストとしてさまざまな媒体で記事を執筆していました。
「日本酒に興味をもったのは、仕事関係の席で、静岡の『磯自慢』を呑んだことがきっかけです。そのおいしさが心に残って、少しずつ全国の日本酒を集めるようになりました。というのも、当時伝統文化を取材するような仕事がいくつかあり、その題材のひとつとして、おもしろいんじゃないかと思って」
これまでも文学や音楽、ファッションやバイクなど、興味をもったことに対しては、とことん調べて、コレクションしてのめり込んだという佐藤さん。日本酒も最初はその対象でしたが、そのうち「実際につくってみないと本当のことはわからない」と製造側の勉強も始め、2007年の冬に実家に戻ります。
1852年(嘉永5年)に秋田県で創業した、老舗「新政酒造」。
帰ってきてわかったのは、経営状況がかなり悪かったこと。佐藤さんはこれまでのやり方を経営面から見直し、根本からの改革に挑みます。一番の柱だった安価な酒の製造を中止し、大胆なチェンジを図って新政は生まれ変わります。

大きく方針を変え、経営回復へ

戻った当初は、あと3〜4年で債務超過になるという状況でした。赤字の最大原因は、地元のスーパーに卸していたパック酒のような安価な酒です。そういった酒は、うちのような機械化されていない小規模な会社でやっても赤字を生むだけ。ですが、それ以外に売り物がなかったのでやめるわけにもいかず、つくるほど赤字が膨らむという悪循環に陥っていました。
最初は値上げの対策もしましたが、安さが売りの商品は、少しでも価格を上げたらもう終わり。お客さんには怒られ、半分の量しか売れなくなるなど、はっきりとした結果が出たので、やめるべきだと判断しました」
これからはお客さんに本当に喜んでもらえる酒づくりをするべきだと考えた佐藤さんは、普通酒をやめ、純米酒のみをつくることを決めます。
純米酒に切り替えた翌年、ようやく黒字化しました。数字からも、お客さんが本来の日本酒らしい味を求めていたことがわかったので、ならば、もっと高くても、手間暇かけてつくった伝統的な日本酒を造る方向にさらに舵を切ろうと考えました
佐藤さんは2014年から、昔ながらの伝統的な「生酛(きもと)づくり」のみに製法を切り替えます。「生酛づくり」は酒づくりの原点とも言われ、自然の乳酸菌を扱うために手間も時間も通常の酒づくりの倍はかかると言われます。
新政で使用している酵母は、5代目佐藤卯兵衛が自らのお酒に現出することに成功した「6号酵母」。
新政で使っている「6号酵母」は、現存する最古の清酒酵母で、新政が発祥の蔵。その酵母を使い、米は秋田県米のみを使用する徹底ぶり。さらに2016年からは、秋田市の外れにある山村・鵜養(うやしない)で無農薬無肥料の原料米づくりを手がけています。
ここまでこだわった酒が話題にならないわけもなく、佐藤さんは経営を回復させただけでなく、その後も進化させ続け、今では市場でも入手困難な日本酒として知られるようになりました。
「秋田県産米を、生酛純米づくりにより、6号酵母にて醸す」というのが新政の方針。この方針のもと、地域性を尊び、秋田市にある鵜養地区にある24ヘクタールもの田んぼで原料を栽培。(撮影/松田高明)

連続性がなければ伝統ではない

製法だけの問題ではなく、佐藤さんがこだわりたかったのは、“日本酒の文化的な価値”でした。
「日本酒の歴史は1500年以上年前から始まっています。文化的価値を継承するというのは、こういった昔からの日本酒づくりとの関連性があってこそ。しかし戦後、日本酒は加工産業化することで、人口増大期の需要を満たそうとしていました。そしてその流れは今もまだ続いています。
その考えでいくと、日本酒づくりは科学技術を駆使し、合理性をもって効率よく製造することが“正”になりますが、僕はノーと言いたい。そのやり方では日本酒の魅力を失うだけです」
日本酒業界の「革命児」や「新風を巻き起こした人」と表現されることが多い佐藤さんですが、その新しさは過去からの連続性の上に立っているものでした。
「別に革命を起こそうなんて気は全くありませんよ(笑)。執筆をしていたときから、大量に情報を受信してそこから自分なりのものを組み立てていくという手法は変わりません。今も僕の酒づくりは、昔の文献をベースに膨大な情報を仕入れ、そこから自分なりのものを組み立てるやり方で行っています。革命どころか、伝統の再評価が大事だと考えるのは、聞きようによっては懐古主義的なところもあると思います

経営とものづくりは、車の両輪

佐藤さんは、ものづくりに対するこだわりや哲学と同じくらい、経営的な視点も大事だと語ります。
経営に向き合えば、ものづくりの手法も自ずと変わるはずです。ですが、酒づくりと経営のバランスが取れている蔵というのは、けっこう少ない。それはこの業界に限らないことですが、日本の企業には家業が多いことにも関係していると思います。普通の感覚ではあり得ないことに思えますが、経営への興味も経験も全くないまま老舗企業を引き継がねばならなくなった後継ぎは少なくないのです。
当たり前ですが、後継ぎの立場であっても経営の知識は必要ですし、それがわかっていないと、いくら良い製品をつくったとしても事業の継続はできなくなるでしょう
「実際のところ、さまざまな制約がある伝統産業こそ、不断の経営努力が必要なジャンルだと思います。経営とものづくりの技術は両輪ですから、経営に向き合えば、ものづくりは必ず変わるはずです。スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクなど、技術経営者が新しいものを生み出しているのも、経営とものづくりの両方に高い見識をもっていたからですよね。ふたつのバランスを取ることは自分でも常に意識しています」
経営の視点と、ものづくりに対する一貫した姿勢を両立させることで、経営を黒字回復させ、新政を生まれ変わらせた佐藤さん。現在、活動の幅はさらに広がり、蔵同士のつながりや消費者とつくり手の距離を縮めるなど、精力的に動いています。その根っこにあるのは「日本酒の魅力をもっと広めたい」という強い思い。後編ではさらに「自分の蔵だけが安泰でも意味がない」と語るその理由に迫ります。
後編に続く