もし、阪神大震災の時に、Twitterがあったら
コメント
注目のコメント
まさに東日本大震災が襲来した2011年3月にTwitterは日本法人は本格的に稼働をはじめました。McKinseyより転じて初の日本法人代表に就任した近藤正晃ジェームス氏は、震災時のTwitterの利用状況を目の当たりにする中で、単なるコミュニケーションツールではなく、「災害時の万が一の「ライフライン」として確保しておくべき「プラットフォーム」のような存在を目指す」として、新機能を実装するなど、「ライフライン」としてのポジションを獲得することを目指したという歴史があります。
そもそも、Twitterをつくったジャック・ドーシーは救急車の隊員が地域医療機関とつながったTwitterアカウントで、患者収容先をTwitterで探す、というようなユースケースも想定していました。米国でも救急車に収容された患者の搬送先が見つからずたらいまわしなることも多いのですが、救急隊員の投稿を、つながった先の医療機関がRT(リツイート)することで、救急隊員とつながっていない医療機関にも拡散して、搬送先を見つけられるのではないか、というものです。
かように、Twitterについてはそもそものプロダクトとしても、災害時活用にフィットしていたということは大きかったわけですが、インターネット前と後で世の中がどう変わるかという思考実験は折に触れてやってみると有意義に思います。私にとって,阪神大震災の後,その被害を伝えるサイト,たしかNTTのサイトを見たのが初めてのインターネット体験だったと思う.しかし,リアルタイム性がなく,その役割はテレビ・ラジオが担っていた.
16年後の東日本大震災では,インターネットが普及し,文字情報を含むメール,Twitterを使い,準リアルタイムで安否確認情報などが飛び交っていた.しかし,リアルタイムの個人から個人への音声や映像の配信はまだ重かった.
さらに9年後の新型コロナウイルス感染症下では,リアルタイムの個人から個人への音声や映像が一般になり,オンライン会議が広まった.
コロナの次に来る惨禍では,コロナ禍でできなかったことができるようになるのでしょうか.