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ペレ氏が死去 82歳 サッカー元ブラジル代表のレジェンド

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    在ブラジル建築プロデューサー/隈研吾建築都市設計事務所ブラジル担当室長

    サッカーの一つの時代が終わってしまったと言っても過言ではないでしょう。ここブラジルは悲しみに包まれ、国内のすべてのチャンネルはペレ氏の死去の報道が続いています。

    ”Pelé Eterno(ペレよ、永遠に)“、”Rei 10 Eterno(キング10よ、永遠に)“と言うタイトルで特集を組んで彼の偉業と功績を讃えています。ジーコさんやロナウド氏など、他の偉大なサッカー選手のコメントばかりではなく、ボルソナロ大統領、ルーラ次期大統領ら政治家からも、カエターノ・ヴェローゾ氏などの音楽界などからも寄せられている哀しみのコメントが紹介されています。

    ギネスに登録されている記録によると、生涯で1363試合に出場し1283点、1試合平均0.94点という脅威的な得点能力は、過去も今後も彼を超えるサッカー選手は現れることはないでしょう。

    引退後もFIFAやUNICEFなどの国際機関で親善大使などを長く勤められ、ブラジル初の黒人閣僚としてスポーツ大臣を務めるなど政財界にも太いパイプを持ち、ブラジル人だけではなく世界中の人々から愛された方でもありました。

    他の記事にも書きましたが、日本ではあまり知られていないと思いますが、ペレ氏の今の奥様は25歳年下のマルシア・アオキさんという日系ブラジル人の方ということもあり、彼自身日本に対しても特別な想いを持たれていた方でした。

    彼のあの独特の低い声、そして温かみのあるあの声がもう聞けないと思うと無性に悲しさが込み上げてきます。
    今はご冥福をお祈りするばかりです。


  • (ホルへ・タケシ)拓殖大学 国際学部 教授

    ペレが成し遂げてきたことはいろんなニュースやこのNPのコメント欄にもありますが、ブラジルの現代史を語る上でも実は欠かせない人物でもありました。

    これは、ブラジルの中央集権化が進んだ時期およびテレビ放送が普及し始めた時期にペレが活躍していたことと深くかかわっています。

    1930年代までのブラジルは地方の権力が強く、また各国からの移民がモザイクのように社会を構成していました。そうした“バラバラ感”のあるブラジルを一つにするという動きが1930年代後半から1970年代にかけて続きました。

    1930年後半と1950年代に政権を担当したバルガス大統領は、国の求心力となるものを、経済・インフラ面のみならず文化面にも求め、サンバなどとともに有色人種が活躍していたサッカー(この当時はペレではなく、レオニダス・シルバなどが活躍)もその一つに据えられました。

    皆さんご存じのとおり、ブラジル代表はこの時代に強化が進み、1958年から70年のWカップで4回中3回を制することになります。その中心であり続けたペレが通算1000得点という前人未踏の記録を達成しようとしていた1960年代末には、サッカー放送を見たいという中間層以上の国民がテレビを競って購入します。そして政府はサッカーくじなども解禁します。

    おりしもブラジル経済は年間のGDP成長率が二桁となるなど高度成長期にあり、「ブラジルの奇跡」として世界的にも注目されていた時期です。ただし、そうした経済成長の裏には、当時の軍事政権が、反政府運動弾圧の裏で政権としての正当性を国民にアピールするという要素もありました。

    そうした社会変化とブラジル代表のW杯でのペレの活躍の時期が重なっていたことは、1970年代初期に独裁者として君臨したメディチ政権のプロパガンダにも利用されることにもなります。政権との接近には批判もありました。

    映画「ペレ:レジェンド、栄光のサッカー人生」はその当時のペレへのインタビューも含まれています。メディチ政権が行っていた弾圧についてインタビュアーから問われ、その苦悩を語っていた表情は印象的です。

    ペレの得点記録などはいつか破られる時が来るでしょうが、ブラジルの歴史にサッカーが一定の役割を担っていた時代にその中心にいたという点で、彼は唯一無二の存在であり続けることと思います。

    ご冥福を祈りします。


  • 消防局

    過去最大規模のW杯で、神の子と称されたメッシらの勇姿を見守り、安心して今世を終えられたのではないでしょうか。
    ペレ氏といえば、17歳にしてブラジル代表の背番号10を
    背負い、ハットトリックまで成し遂げたエースストライカーといった印象でした。

    それ以降ではないでしょうか。
    サッカーのエースストライカーの象徴といえば、『10』といった印象が根強くなったのは。

    今ではメッシやネイマール等、現代の名だたる選手たちが
    付けている『10』。

    その番号の象徴であったペレ氏は、今後も語り継がれ、
    次世代を担うサッカー戦士たちの憧れであり続けることでしょう。

    サッカー史の一時代を築かれたペレ氏に、
    ご冥福をお祈りいたします。


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