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サッカーの一つの時代が終わってしまったと言っても過言ではないでしょう。ここブラジルは悲しみに包まれ、国内のすべてのチャンネルはペレ氏の死去の報道が続いています。

”Pelé Eterno(ペレよ、永遠に)“、”Rei 10 Eterno(キング10よ、永遠に)“と言うタイトルで特集を組んで彼の偉業と功績を讃えています。ジーコさんやロナウド氏など、他の偉大なサッカー選手のコメントばかりではなく、ボルソナロ大統領、ルーラ次期大統領ら政治家からも、カエターノ・ヴェローゾ氏などの音楽界などからも寄せられている哀しみのコメントが紹介されています。

ギネスに登録されている記録によると、生涯で1363試合に出場し1283点、1試合平均0.94点という脅威的な得点能力は、過去も今後も彼を超えるサッカー選手は現れることはないでしょう。

引退後もFIFAやUNICEFなどの国際機関で親善大使などを長く勤められ、ブラジル初の黒人閣僚としてスポーツ大臣を務めるなど政財界にも太いパイプを持ち、ブラジル人だけではなく世界中の人々から愛された方でもありました。

他の記事にも書きましたが、日本ではあまり知られていないと思いますが、ペレ氏の今の奥様は25歳年下のマルシア・アオキさんという日系ブラジル人の方ということもあり、彼自身日本に対しても特別な想いを持たれていた方でした。

彼のあの独特の低い声、そして温かみのあるあの声がもう聞けないと思うと無性に悲しさが込み上げてきます。
今はご冥福をお祈りするばかりです。
ペレが成し遂げてきたことはいろんなニュースやこのNPのコメント欄にもありますが、ブラジルの現代史を語る上でも実は欠かせない人物でもありました。

これは、ブラジルの中央集権化が進んだ時期およびテレビ放送が普及し始めた時期にペレが活躍していたことと深くかかわっています。

1930年代までのブラジルは地方の権力が強く、また各国からの移民がモザイクのように社会を構成していました。そうした“バラバラ感”のあるブラジルを一つにするという動きが1930年代後半から1970年代にかけて続きました。

1930年後半と1950年代に政権を担当したバルガス大統領は、国の求心力となるものを、経済・インフラ面のみならず文化面にも求め、サンバなどとともに有色人種が活躍していたサッカー(この当時はペレではなく、レオニダス・シルバなどが活躍)もその一つに据えられました。

皆さんご存じのとおり、ブラジル代表はこの時代に強化が進み、1958年から70年のWカップで4回中3回を制することになります。その中心であり続けたペレが通算1000得点という前人未踏の記録を達成しようとしていた1960年代末には、サッカー放送を見たいという中間層以上の国民がテレビを競って購入します。そして政府はサッカーくじなども解禁します。

おりしもブラジル経済は年間のGDP成長率が二桁となるなど高度成長期にあり、「ブラジルの奇跡」として世界的にも注目されていた時期です。ただし、そうした経済成長の裏には、当時の軍事政権が、反政府運動弾圧の裏で政権としての正当性を国民にアピールするという要素もありました。

そうした社会変化とブラジル代表のW杯でのペレの活躍の時期が重なっていたことは、1970年代初期に独裁者として君臨したメディチ政権のプロパガンダにも利用されることにもなります。政権との接近には批判もありました。

映画「ペレ:レジェンド、栄光のサッカー人生」はその当時のペレへのインタビューも含まれています。メディチ政権が行っていた弾圧についてインタビュアーから問われ、その苦悩を語っていた表情は印象的です。

ペレの得点記録などはいつか破られる時が来るでしょうが、ブラジルの歴史にサッカーが一定の役割を担っていた時代にその中心にいたという点で、彼は唯一無二の存在であり続けることと思います。

ご冥福を祈りします。
サッカー界のレジェンドですが、個人的な記憶に残るのは、映画「勝利への脱出」の俳優としての出演です。引退後も世界規模でサッカー界に貢献した功績は大きいと思います。ゆっくりお休みください。
サッカー史上最高の選手と広く称され、3度のワールドカップ制覇を誇る元ブラジル代表のレジェンド、ペレ氏…お亡くなりになりました。R.I.P.
小さい頃観たサッカーのVTRはペレやマラドーナでした。
人間技でないドリブルやシュートに心震えた記憶があります。
ひとつの時代が終わったのですね。
ゆっくりおやすみください。ありがとうございました。
年末にとても悲しいニュースが。
まさにサッカーの神様でレジェンド。
最後にメッシがW杯をかかげるところが見れたのが良かったかなとは思いますが、残念です。
ご冥福をお祈りします。
安らかに。
マラドーナに続きペレも旅立つなんて、、
神の子と称されるペレへのプレスが激しかったためそれまでなかったイエローカードが導入されました。今のサッカーを作った選手の死にお悔やみ申し上げます。
カタールW杯を見届けることができ、ブラジル優勝とはならなかったものの、安心して息を引き取られたのではないかと思います。
それにしても、W杯3度の制覇とは改めてその凄さがわかります。まさにサッカー界のレジェンドですね。
歴史を創ったスターが天に召された。感謝し、偉業を改めて讃えましょう。
ブラジル人とアルゼンチン人がスタジアムで会うとペレとマラドーナを比べてこっちの方がすごい、と歌いあってますが、それも世代交代ですね。
アルゼンチンは圧倒的にメッシですがブラジルは圧倒的なリーダーがいないところにこの20年ワールドカップ優勝から程遠い実情が表れているんじゃないかと。