2023/3/7

【解説】ニーズが拡大し続ける「抗体医薬品」って何?

NewsPicks Brand Design Senior Editor
「コロナウイルスに感染すると、体内に『抗体』ができるので再感染のリスクが低下する」
「過去にウイルスに感染していたかどうかを調べるために、『抗体』検査をした」

新型コロナ感染拡大により、耳にするようになった「抗体」という用語。そもそも抗体とは、侵入してきた病原体から体を守るために、体内の免疫システムにより作られる物質を指す。この抗体の働きを利用した、医薬品があることをご存じだろうか。

それが「抗体医薬品」だ。この医薬品は、生物の力を利用して作られるバイオ医薬品の一種で、国内では2000年代になって登場した新しいタイプの薬。治療効果が高く、副作用の少ない治療薬として期待されており、がんや免疫疾患、神経系の難病など、まだ治療法のない病に対する治療薬となりうる。

その期待値の現れとして、2021年の世界の医薬品売上ランキング上位5位のうち3つは抗体医薬品が占めるなど、近年市場が大きく拡大している。本稿では、抗体医薬品とはなにかをスライド形式で分かりやすく解説しつつ、後半では国内において抗体医薬品開発をリードする中外製薬の井川智之氏が、その可能性について語る。

抗体医薬品を生み出すエコシステム

 まず、抗体医薬品の全体図をお話ししましょう。
「抗体医薬品」は、2000年以降、世界的に研究開発が盛んになりました。
 近年では世界の医薬品売上ランキングのトップを抗体医薬品が占めるなど、抗体医薬品市場は成長を続けています。なぜ、抗体医薬品はこれほど必要とされているのでしょうか?
 その一番の理由は、アンメットメディカルニーズ(いまだに有効な治療方法がなく、十分に満たされていない医療ニーズ)を、高い有効性と安全性のもと満たすと期待されているからです。
 それができるのも、特定の分子のみに作用する「抗体」の特徴があるからこそです。
 実際にこれまで、がん、自己免疫疾患、脳神経疾患、眼疾患、呼吸器疾患、アルツハイマー型認知症、新型コロナウイルスなど、様々な疾患を治療する抗体医薬品が開発されています。
 牽引するのは、アメリカやヨーロッパの製薬会社です。研究開発から製品化までを、迅速に行えるエコシステムが確立されているからです。
 エコシステムとは何を指すのか説明しましょう。まずは大学などのアカデミアが、病気の原因分子を発見したり、薬を作る新しい技術的な発見を行う。それが新薬の“種”になります。
 有望な“種”であれば、ベンチャーファンドが投資してスタートアップが立ち上げられ、そこで薬作りの専門家や研究者がその“種”を薬へと育てる。
 そして薬ができたら、今度は開発の途中から製薬会社が臨床試験を行い、承認・製品化を目指す。これがエコシステムです。
 多くの大手製薬会社が拠点を置き、世界最大規模の「バイオテック・クラスター」と称される米ボストンでは、アカデミア、スタートアップ企業、ベンチャーファンド、製薬会社がうまく分業されたエコシステムが機能しています。
iStock / Sean Pavone
 エコシステムは抗体医薬品に限った流れではなく、今や世界で承認される新薬の半分以上はスタートアップを介して生まれているといわれています。
 新型コロナウイルスのmRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンも、10年以上前にアカデミアや当時スタートアップだった企業が基幹技術を発見しています。
 とはいえ、一つの薬を製品化するには、一般的には2500〜3000億円といった規模の開発資金が必要です。
 もちろん成功すればリターンも大きいですが、製品化された医薬品の裏には、膨大な数の製品化に至らなかった研究開発があります。3000億円というのは、失敗したプロジェクトにかかった費用も含めた金額なのです。
 つまり欧米では、「うまくいかないケースも多いが、もしうまくいったら大きなリターンを得られ、社会的な意義もある投資」に、ベンチャーファンド等の投資家が多くのお金を投じるカルチャーが根付いているんです。

技術革新は強烈な危機感から生まれた

 日本ではそうしたエコシステムが十分に発達していなかったため、結果、抗体医薬品を含めたバイオ医薬品の開発では、欧米に遅れをとっているのが現実です。
 そのなかでも、中外製薬は抗体医薬品で国内No.1のシェア(※1)を持ち、グローバルでも抗体医薬品の創薬においては高い存在感を示していると自負しています。
※1 Copyright © 2023 IQVIA. JPM 2022年12月MATをもとに作成 市場は中外製薬定義による 無断転載禁止
 ただ、ほんの20年前までは、グローバルでは全く無名の存在だったんです。
 1980年代、当時化学合成薬が主流の中、中外製薬はバイオ医薬品の研究開発に資源を投入、国内では“バイオ医薬品といえば中外製薬”という、一定の認知がありました。
 私が入社を決めたのもバイオ医薬品への興味があったからなんですが、米国の抗体関連の学会に行った際に、愕然としました。誰も当社を知らないんです。
そのような状況で、当社の重要なターニングポイントとなったのが、2002年に世界的な製薬企業・ロシュ社と戦略的アライアンスを開始し、グループ入りしたことでした。
 とりわけ影響が大きかったのが、ロシュ・グループの一員に、抗体医薬品の世界のトップランナーであり、世界屈指のバイオベンチャーであるジェネンテック社が名を連ねていたことです。
 当時ジェネンテック社は抗体医薬品の研究開発では圧倒的に世界をリードしており、その実力は、当社の10年、20年先を進んでいるような存在でした。
 そんなすごい企業が同じグループ内にいる。私はもちろん、中外製薬の抗体医薬品に関わる研究者は強い危機感を覚えました。
「このままでは、中外の抗体研究の存在価値がなくなる。研究所として生き残れない」と。
 そこから当社は、ジェネンテック社にもない独自の抗体創薬の技術を生み出すべく、技術開発にリソースを割く方針に舵を切り始めました。
 「まだ世の中にはない、不可能を可能にする新しい抗体の技術を創ろう」「その技術を活用して、中外製薬にしか創れない新しい抗体医薬をなんとしてでも生み出そう」と。
 以降、本当に時間はかかりましたが、研究開発の成果は徐々に形になっていき、結果、ロシュとのアライアンス後の20年間で4つの抗体医薬品を上市(承認された新薬の販売が開始されること)できました。
 そのなかで、当社の大きな強みとなったのが、抗体医薬品を進化させる「抗体エンジニアリング技術」です。

アンメットメディカルニーズを満たす技術たち

 抗体エンジニアリング技術とは具体的にどんなものか? いくつかご紹介しましょう。
 まずは「リサイクリング抗体®」技術です。
 抗体医薬品のような注射剤の投与方法は、静脈に注射して点滴で投与する方法と、腹部などへ注射する皮下投与の、大まかに2つあります。
 点滴の場合、患者さんは週1回や月1回など定期的に病院に行き、ベッドで数時間を費やす必要があり、特に働いている方などは、これを続けていくのは大変です。
 それに対して皮下投与であれば在宅でできますが、皮下に打てる薬剤量は限られるため、少ない量で充分な効果を発揮する薬剤の開発が必要です。
 そんな課題を解決するために開発したのが「リサイクリング抗体®」です。
 冒頭に申し上げたとおり、抗体は特定の分子に結合することが大きな特徴なのですが、この抗体は、通常なら1つの抗体の腕で1つの病原体分子にしか結合できないところを、1つの抗体が繰り返し複数の病原体分子に結合できます。
 抗体がリサイクルされて、何度も使えるのでリサイクリング抗体®と名付けました。
 したがって少量の投与で治療が行えるので、皮下投与が可能になります。
 1つの抗体が何度も作用するため、効果が長時間持続し、投与頻度を減らすことが期待できます。さらに医薬品の製造コストも下げられます。
 他にもあります。社会的なインパクトの大きさでは、「バイスペシフィック抗体」が一番かもしれません。
 一般的な抗体は、両腕で同一の分子に結合しますが、バイスペシフィック抗体は、左右の腕がそれぞれ異なる分子に結合します。
 この技術を用い、血を固める因子の異常により出血が止まりにくくなる「血友病A」の治療薬を開発しました。
 もともと血友病Aには、出血を予防する有効な薬がありましたが、週に3回程度、静脈注射で投与する必要がありました。
 血友病の患者さんには小さなお子さんも多いですが、小さなお子さんの場合、静脈を見つけるのは困難です。
 しかも静脈内注射の痛みも伴うので、お子さん自身にとっても、投与を行う親御さんにとっても大変な負担となります。
 また、その薬が体内で“異物”とみなされ、使い続けるうちに薬に対する免疫反応が起こり、効かなくなってくることも約3割の患者さんに見られていました。
 これらのアンメットメディカルニーズ、つまり課題をバイスペシフィック抗体技術を用いた抗体医薬品によって解決することを思いついたのです。
 少し難しい話なのですが、もともと血液凝固の過程において、血液中にある「第VIII因子」が、出血が起こった際に「第IX因子」と「第X因子」を近接させることで「第X因子」が活性化して、凝固反応を進めます。
 ところが血友病の患者さんは、遺伝的に「第VIII因子」が欠損しているために、血液凝固のメカニズムが機能しません。
 そこで私たちは「第VIII因子」が欠損している患者さんでも、別の方法で「第IX因子」と「第X因子」を近接させることができれば、「第X因子」が活性化して血液が凝固するのではないか、そして、それをバイスペシフィック抗体で代替できるのではないか、と考えたんです。
 詳しく説明すると、抗体の左手で「第IX因子」、右手で「第X因子」に結合して、「第VIII因子」とそっくりな働きをバイスペシフィック抗体で実現することで、先ほどお話したアンメットメディカルニーズが解決できるのではないかと。
 当時の抗体医薬の使われ方とは全く違う使い方だったので、とても画期的なアイデアでした。
 ただ、2本の腕が別々の分子に結合するバイスペシフィック抗体を医薬品として製品化するのは前例がなく、どう実現すればいいかは、非常に困難でした。
 結局、アイデアが生まれてからそのバイスペシフィック抗体を研究所で創り出すまで10年近くかかり、最終的に製品として患者さんに届けるまでさらに5年ほどかかりました。
 今では、その薬は世界100か国以上で承認され、世界中の患者さんに使っていただいています。
 薬を使っている患者さんからの声やお手紙をいただくことも多く、とてもやりがいを感じますね。
 このように当社では、「患者さんに大きな価値を届けられる」「課題を克服できるのは中外しかない」と信じられるなら、たとえ10年かかっても諦めずにやり遂げるといったカルチャーが根付いています。
「このアイデアを患者さんに届けたい」という想いが一番大切。それは決して、一朝一夕でできたカルチャーではありません。
 ロシュ・グループ入りした時に覚えた危機感をきっかけに、大きな課題へチャレンジし、少しずつ経験と自信を重ね、20年かけて確立したものです。
 多くの会社では、ある創薬プロジェクトが3年くらい何も進捗がなければプロジェクトは打ち切られるというなかで、中外は10年かけてでもやる、というのは世界的に見ても稀有だと思います。
 もちろん、リスクも難易度も高い技術開発に自社のリソースを振り切れるのは、ロシュ社やジェネンテック社が創り出す画期的な薬剤を、日本で優先的に製品化することで得られる安定した収益基盤があるからです。
 ロシュ・グループ全体にとっても、長期視点に立った創薬を行う中外製薬は、創薬研究の多様性の観点からも、良いパートナーに見えているはずです。

この先も、抗体の新たな“標的”を見つけ続ける

 ただ、抗体医薬品は現在、世界のあらゆる製薬会社で作られるようになり、ある意味コモディティ化しています。
 さらにバイオ医薬品を見ると、遺伝子やmRNAを活用するなど、新しい治療法も次々と登場しています。
 かといって、10年後に抗体医薬品が大幅に減ることはおそらくなく、今後も様々な抗体医薬品が製品化されていくでしょう。
 なぜなら、抗体医薬品で解決し得るアンメットメディカルニーズは、まだまだたくさんあるからです。
 ただ、今はまだ見えていないアンメットメディカルニーズを解決するためには、新しい抗体エンジニアリング技術が必要になり、技術を創って応用していく必要があります。
 さらに技術だけではなく、病気を理解するバイオロジー(生物学)的なブレークスルーを起こし、抗体医薬品の“標的”を見つけ続ける取り組みが、一層重要になります。
 モノ作りの技術と、病気を理解するバイオロジー、両方で創り上げていくのが抗体創薬のこれからの形なのかなと。
 その点、前述の通りボストンをはじめ海外では、アカデミア・スタートアップ・製薬会社が各々得意なことに注力し、新しい技術や新しいバイオロジーの発見を薬にして患者さんに届けるまでのエコシステムが確立されている。
 一方、日本では役割分担が曖昧で、遅れをとっている。
 そんな状況をふまえて当社も、自社やロシュ・グループだけでなく、アカデミアとの連携を深めています。
 たとえば、2017年より取り組んでいる、大阪大学の研究機関「免疫学フロンティア研究センター(IFReC)」との10年間の包括連携。
 同プロジェクトでは、免疫に関わるバイオロジーの基礎研究のプロである大学が抗体医薬の“種”を見つけたら、直ちに薬作りのプロである中外製薬の研究者が抗体作りに入るなど、明確な役割分担を行い、互いの専門性はリスペクトをしてスムーズな連携を図っています。
 この仕組であれば、“種”は見つけられたのに薬に繋げられないといった、よくある創薬の行き詰まりを大幅に減らせます。
 また当社では、「MALEXA®」(マレキサ)というAIを用いた抗体創薬にも取り組んでいます。
 AIに研究者の代替をさせたり、研究者が出来ることを短時間で行うのではなく、たとえば研究者では思いつかない抗体のデザインをMALEXA®が行うなど、「AIにしかできない仕事」を担ってもらおうとしています。
 このように新しい枠組み、新しいテクノロジーを活用し、これまでにない抗体技術をこれからも次々と確立していき、不可能を可能にしていきたい。
「Undruggable」(薬にできない)を、「druggable」(薬にできる)に変える。そうして中外製薬ではこの先も、疾患に苦しむ方々を助け、世界中に笑顔を増やしていきたいです。