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いま、世界の知性はどんな景色を見ているのか。作家や歴史家などの知識人、大企業の経営者に聞きます。
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消費者向け総合家電・メディア企業。テレビ・デジタルカメラ・スマートフォン・ゲーム機(プレイステーション)などデジタル家電、映画・テレビ番組・音楽などコンテンツ、世界トップシェアのイメージセンサーなどを手掛ける。事業ポートフォリオ再編を進め、2020年8月には上場子会社で生命保険などを手掛けるソニーフィナンシャルHDを完全子会社化。
時価総額
16.3 兆円
業績
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・思想や言論が自由であること
・地位が流動的であること
・失敗に対して寛容であること
・異分子の存在を受け入れること
・外国の情報を収集し冷静に対応すること
と塩野さんは述べられています。
特に気になることは、戦後の日本は工業化を推し進めミスを嫌い、そのやり方で成功して最適化したために、挑戦と失敗を許容する文化や仕組みが弱まっていることです。
また、作業効率を求めて同質化を進めてきたため、異なる文化の人たちに不寛容な社会になっていると感じます。
この20年間はデジタル化によって競争原理が変化しています。
我々日本人は、過去の栄華にすがるのはやめて異文化を受け入れて果敢に挑戦しなければ、座して衰退していくことになるはずです。
強く危機感を持って事にあたるべきだと認識をしています。
1)日本はヴェネツィア式で生き残れ:ヴェネツィアの情報収集網は、ヨーロッパのどの国よりも正確で速いという評価を得ていました。インテリジェンスを徹底し、情報を駆使して現実的に外交をする。外交に長けることで、スペインとトルコという当時の二大超大国の間で生き抜いていったのです。
日本が、同じ海洋国家であるヴェネツィアを範とすべきなのは仰る通り。開かれた国際秩序でこそ生き残れる国柄です。そして、脅威となる国家に周囲を囲まれ、開かれたリベラルな国際秩序によってのみ生存することが可能な日本のような国こそ、対外的な情報(Intelligence)が重要なのは、ヴェネツィアと同じ。
2)国の繁栄には「異分子」が必要:文化や文明は、純粋培養の環境では育ちません。異分子との接触がなければ、優れたものが生まれないのです。
日本の文化・文明は、古来より渡来人との交わりによって発展してきました。私自身、日本の伝統とされる茶道をやっているとそれを如実に感じます。茶も、茶器も、渡来ものから発展している。海洋国家でもある点も踏まえ、よりオープンな社会にしていくことこそ、日本の繁栄に繋がると思います。
3)自らを守らない国は誰からも守られない:自らを守る力を持たない国は、他のどの国からも、誰からも守られません。自国を防衛する軍事力がないのに中立を守れた国など、世界史上には一国としてありません。
日本には、軍事学(War studies)を自由に学べる教育機関が、自衛隊関連組織以外にありません。スイスなどの中立国の街中では、銃を携行した軍人が普通に電車に乗ってきたり、私のスイスの友人も自国を守る大切さを説き、オープンに語ります。しかし、国家安全保障戦略が改定され、自らを自らの手で守る国へと変遷する途中にあるのだと思います。タブーなく議論できるオープンな環境を作ること。今後の成り行きに期待しています。
このどちらも日本はやっていないし、できたこともない。格差は固定し、外圧でしか変われない。
海に囲まれているから今までは安全だったけど、これからはそうも言っていられないですね
"カルタゴでは戦争に負けた将軍は、処刑によって殺されました。これに対してローマは、敗軍の将にもう一度チャンスを与えた。名誉挽回の機会が与えられたとなれば、敵に対して勇猛に挑むじゃないですか。"
"ローマ人は「頭脳でギリシャ人に劣り、技術でエトルリア人に劣り、経済力でカルタゴ人に劣る」と言われていました。
にもかかわらずローマが帝国となり得たのは、ローマに生まれた人であろうと、異民族であろうと、持てる人材を戦略的に活用することに徹していたからです。"
自由と寛容が必要であること、格差は固定させるべきでないこと、国の繁栄には少数民族や外国人を活用すべきこと、敗者復活戦ができる社会であるべきこと、富裕層に納得させる形で富を放出させるべきことなど、ローマ帝国の歴史から学べる正論の数々。
それが現代にも有効なのは、「人間はいつまでたっても変わらない」という普遍的なヒューマニティゆえですね。だからこそ、もっと人文学を学ぼう!(またここに帰着しますが 笑)
蛇足ついでに、塩野さんの迫力のカラージュエリーの使い方、イタリアンマダムの貫禄があり、「かなわないなー」感をいっそう醸し出してますね。
> 自由と寛容というのは、社会が繁栄する上でのあらゆる意味での基盤です。逆に自由と寛容を欠いた社会では、全てのものが長続きしない。
本当にそう思う。劣化したとはいえ、僕がアメリカにいる理由はこれです。
ベネツィアの繁栄と衰退については塩野七生さんの「海の都の物語」(新潮文庫ではなく、旧版の中公文庫版がおすすめです。上下2巻でコンパクトですし、解説が高坂正堯教授です)、高坂正堯教授の「文明が衰亡するとき」が味わいに富んだ文章で、年末年始の読書にはぴったりではないでしょうか。
明治維新などでは、日本人は「寛容さ」「異分子の取り込み」をやっていたように思います。むろん、維新に反対した全ての人が許されたわけではないですが、反対していた人でもなんでも多くの有能な人材を明治政府に積極的に取り込んだと理解していますし、欧米人を多く招いて文化・文明を遠慮なく取り込んだと。
高度成長期の成功モデルが足を引っ張って、寛容さなどを取り戻せない日本社会。ゆでガエル状態でもなんとかやっていける時間は長くない気がします。