【小幡和輝】不登校サイドから考える「学校」のデメリット
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高卒の就職において、定時制で不利益を被る事はほとんどありませんが、通信制の場合には、一定の企業が通信制から採用を考えていないという返答するケースがあります。
学力的な水準で言えば、公立の通信制高校で単位を取得するのは、定時制を卒業するよりも難しいのですが、やはり、高卒の就職で求められるのは、
・決められた時刻にきちんと出社してくれること
・一定以上の水準のコミュニケーションが取れること
であると言うことを感じます。
中学校までが自動的に卒業してしまう関係から、現在では高卒の資格が、学力の担保そのものよりも、きちんと出席ができていることを証明する最初の資格だという点で非常に重要なものになります。
ただ、記事にあるような単位制の導入は、動画での学習も可能になった現在においては重要な視点だと思います。
選択肢として、柔軟に学びを選べるように制度を整えていく必要があるように思います。
私の学校は完全な単位制で、大学のように、生徒一人一人が全く違う時間割を作って授業を受けます。
また、高卒認定試験を科目合格することで、該当の科目の単位を修得したことにもできます。
こうした制度を、発展させていくことで、より効率的な学習の形態が作れるように思います。
ただ、大学のような大教室での授業がない環境で、完全なる単位制を実施しようとすると、希望の授業が取れなかったり、間に空き時間ができたりと何か不都合が生じます。
定時制では、比較的一人ひとりの生徒に対しての教員の人数が多いためにうまく対応ができていますが、こうした単位制を広げるためには、財政的な支援やICTツールの活用が欠かせないように思います。
注目のコメント
これは、就職してから求められるのが「学力」であれば、「学力を証明する単位」さえ取得すれば学校など行かなくていいだろう、で済むのですが、実際はそうはいかないですね。
就職してから求められるのは「コミュ力」ですから。
>「特技」とか「得意」のレベルだったら、どんな人にもあるはずです。
↑どんな人にも、は無いですね。「特技」も「得意」も別にない、という平均的な人が多数派です。
少数の人にしかできない水準でできるからこそ「特技」と評価されます。
>でも、今の義務教育制度は、それを最大限伸ばすようなシステムにはなっていない。逆に、平均よりも「できない子」に寄り添うかたちにもなっていない。
↑日本の教育制度は、「特技」も「得意」も無い、大多数の平均的な人々が、就職して食べていけることに最適化しています。
米国だと、「特技」や「得意」のある人をもっと優遇して成功もさせますが、平均的な人は脱落して、格差社会になります。
日本の教育制度だと、「特技」や「得意」のある人に割がよくない、というところはあるでしょう。
ただし、それでも藤井聡太氏くらいの日本一、というクラスになると成功できます。家庭が恵まれていれば、外国に行って成功する人もいます。
マンガ家のように、マンガさえ圧倒的におもしろければ、「コミュ力」が無くても成功できる、という業界もあることはあります。ほんの一握りですが。
平均的な多数派以外の、多少は「特技」や「得意」もある人がもっと優遇される社会にする、というのは、学校の問題ではなく、企業や官公庁の人事の問題です。
企業や官公庁が「コミュ力」最優先で採用する以上は、学校を変えてもどうにもなりません。
まず官公庁、たとえばデジタル庁などが、ハッカソン大会などで実力を示せば、コミュ力も学歴も関係なく破格の給与で雇用する、といったところから変わっていけば、学校も自ずと変わるでしょう。DAY2でも不登校時代の話が出ましたが、今日は不登校サイドからの学校制度への提言をしてもらいました。
単位制、たしかに考えてもいいかもしれません。
小幡さんもおっしゃる通り、運用は大変ですが、それによって自分のペースで勉強できるようになったら、本当に落ちこぼれちゃう子どもも減るんじゃないでしょうか。
……うまくやらないと、本当にドロップアウトしちゃうかもしれませんが。
自分の数学の壊滅的な点数を思い返して、不安になりました苦笑