英語の冠詞や単数・複数、間違えるとネイティブは「一瞬思考が止まる」どういうこと?
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ロッシェル・カップさんが先日、日本に入国する人向けに厚労省が作成、配布していた新型コロナウイルス関連の英文のペーパーについて、文の不自然な点について赤ペンで指摘し、Twitterで公開したところ、賛否さまざまな意見が出ましたが、そんな反応の中でも興味を引いたのが、この記事の方です。
Twitterでは「イギリスの田舎暮らし」を名乗るイギリス在住の方で、日本人がおろそかにしがちな冠詞、定冠詞、名詞の単数形、複数形は、ネイティブにとって想像以上に重要であり、間違いがあると「一瞬、思考が止まる」というレベルなんだそうです。
その感覚は例えば、服のタグに「フランス製」と書かれるべきところが、「フラソス製」と書かれていたら日本人としては「ん?」となるのに等しいとのこと。絶妙なたとえです。
外国語習得は日本人にとって常に関心の高い話題のように思います。弊サイトGLOBE+でも外国語関連のコンテンツはよく読まれます。それは英語に対するコンプレックスの表れなのでしょうか。
「イギリスの田舎暮らし」さんはかつて、日本で英語教師として、イギリスでは日本語教師としてそれぞれ働いた経験があるそうです。外国語学習をめぐり、両国に特徴の違いがあるという紹介も興味深いですね。
日本ではきっちり文法などを教える一方、冠詞や定冠詞など、ネイティブなら幼い頃から徹底的に意識させられているものがおろそかにされているといいます。
かたやイギリスの人たちが日本語を学ぶ姿勢というのは、かなり自発的であり、教師としてのご自身はむしろそうした彼らをサポートする役割に近かったとか。なるほど、ネットが発達し、これだけ語学の「教材」が豊富な現代、教師の役割も変わるのかもしれないなと思いました。
最近、英語指導において、これまでの文法重視の指導方法から、オーラルコミュニケーションを強化すべきだということを耳にします。
個人的な経験を振り返っても、リスニングやスピーキングは苦手意識がありましたし、学校でしっかり教えてもらっていなかったなとも思います。
ただ、オーラルコミュニケーション強化というのは、決して文法軽視でもないんだろうなとも思います。ネイティブのように、生まれながらに英語の環境に浸るわけではなく、しかも非英語環境で学んでいくのだとすれば、やはりそのルール=文法は大事なんだろうなと思います。冠詞、定冠詞、単複形等と同じかそれ以上に重要で軽視していると思うのは発音です。
「発音なんて伝わればいい」と思っている人がいます。
私もその意見には賛成なのですが、そう言っている人のほとんどは実は伝わるレベルに到達していません。(自分も含めて笑)
特に日本語アクセントは話者が少ないので、同じ訛り具合でも他のアクセントよりも通じなかったりします…そんなこと言い始めたらキリがない気が、、、
英語ネイティブ話者でも場所によって「Like」をたくさん使ったり、アクセントが少し聞き取りにくかったりしますが、伝わればいいじゃない、と思います。
日本は日本語を喋る場所、というのは外国人も分かっていますし、伝えたいことが伝わる方が重要だと感じます。
私もスペイン語・中国語の勉強をしていますが、文法が「ネイティブ並み」になるまで勉強を続けるより、習いながら積極的に練習をした方が上達が早いんじゃないかな、と。