記者クラブの外から見る

指導者ライセンス制度の意義

なぜプロ野球選手よりJリーガーを志す少年が増えているのか

2015/1/16
当連載ではこれまで、肘という視点を通して野球界の構造的問題について考えてきた。取材やコメント欄で目にしたのが、「サッカーのように指導者ライセンス制度を取り入れるべき」という意見だ。
では、指導者ライセンス制度を採用することにどんな利点があるのか。サッカー界で長らく指導者を務めているふたりに話を聞くと、なぜプロ野球選手よりJリーガーを志す少年が増えているのか、逆説的に浮かび上がってきた。
「日本サッカーの父」ことデッドマール・クラマー氏が指導者養成の重要性を説き、日本サッカー協会は指導者ライセンス制度を構築した。(写真:アフロ)

「日本サッカーの父」ことデッドマール・クラマー氏が指導者養成の重要性を説き、日本サッカー協会は指導者ライセンス制度を構築した。(写真:アフロ)

「指導者は子どもたちの未来に触れている」

今から15年ほど前、日本サッカー協会の山口隆文氏を訪れた某日本野球組織の関係者がいた(山口氏は現在、日本サッカー協会技術委員長として育成を担当)。訪問の目的は、同じ筑波大学出身の山口氏に日本サッカー協会の指導システムを聞くためだった。山口氏は惜しげなく、すべてのノウハウを伝えた。

しかし時間が経てども、日本の野球界には共通の指導システムが構築されないままだ。

少年年代から競技人口を増やしているサッカーと、子どもにとってハードルの高いスポーツになりつつある野球――。子どもたちがグローブとバットを持たず、サッカーボールを追いかける傾向が強くなっているのは、育成の位置付けに関係があると思う。

「指導者は子どもたちの未来に触れている」

欧州サッカー連盟でテクニカルダイレクターを務めていたアンディ・ロクスブルグ氏の言葉で、日本サッカー界で大切にされている考え方でもある。

1960年に来日した「日本サッカーの父」ことデッドマール・クラマー氏にコーチ養成の重要性を説かれ、日本サッカー協会は現在の指導者ライセンス制度を構築していった。卓越した育成システムこそ、Jリーグができて20年の間でアジアのトップに立ち、W杯でも2度の決勝トーナメント進出を果たすことができた主因と言える。

日本サッカー界の「一貫教育」

アジアで現在、自国の指導者養成システムを持っているのは日本とイランのみだ。なぜ日本は、効果的な指導体制をつくり上げることができたのか。その理由を山口技術委員長が説明する。

「国の根幹には教育があるので、大学の教育学部で教員を養成し、義務教育として小中学生に教えています。サッカーでも同じことです。何かを人に教えるということは、それだけの知識がないといけません。だから日本サッカー協会ではインストラクター(※指導者の指導者)を養成している。サッカーという文化を伝承するために、当たり前のことだと思います」

ドイツやスペインなどサッカー先進国を手本にしながら、日本は独自の育成システムを構築していった。サッカーはグローバルスポーツで、万人の目指す先が一致している。日本の少年ならJリーガーや日本代表を目指し、その先にあるのが海外移籍やW杯だ。そのルートを誰もが明確に描けるから、挙国一致で指導体制をつくることができている。

日本サッカーの指導方針の根幹にあるのが、「一貫教育」という考え方だ。スポーツでは5〜8歳のプレ・ゴールデンエイジ、9〜12歳のゴールデンエイジ、13〜15歳のポスト・ゴールデンエイジという年代ごとに、習得すべき要素が決まっている。それを指導者が理解し、長期計画で育てることで、子どもは才能を伸ばしていくことができる。

しかし、例えば長崎県のサッカー少年が小学5年時に親の転勤で東京に引っ越し、後者のコーチに十分な知識がなかった場合、大切に養ってきた才能をうまく発芽させることなく、枯れさせてしまうというケースが起こり得る。それを極力無くすために必要なのが、一貫教育なのだ。指導者ライセンスは、一貫教育の根幹にある。

S級を取得し、東京都サッカー協会のインストラクターとして指導者を養成する立場でもある、東京都立東久留米総合高校サッカー部の齋藤登監督がその重要性を語る。

「指導者ライセンスの講習を受けることで、みんなが日本サッカーの根元にある大切なものを学び、子どもたちはどこに行っても栄養を受けながら育ち、自立することができます。金太郎飴になってはいけないけど、幹となるものは日本サッカー協会がきちんとやる。基本があったあとに、各指導者の個性があってもいいと思います」

サッカー界がD級ライセンスのハードルを下げる理由

日本サッカー協会の指導者ライセンスはS級を頂点に、A、B、C、D級がある。Jリーグで監督を務めるにはS級の取得が必須で、小学生年代で日本サッカー協会にチーム登録するにはD級以上の資格を持った者が最低ひとりいなければならない。中学や高校の部活動では、ライセンスの取得に関するルールはない。

興味深いのは、D級の存在意義だ。C級以上は一定の実技レベルが求められ、取得するための講習にある程度の時間やお金、労力を要す一方、D級は極端に言えば、たった2日間の講習を受ければ誰でも取ることができる。

小学生年代の街クラブのほとんどが、指導や運営をボランティアに支えられている。だからこそ、D級のハードルをあえて低くしていると山口技術委員長が語る。

「お父さん、お母さんが、『自分の子どもがサッカーを始めたから、D級をとろうか』という動機でいいんです。要は、ご両親に『うちのコーチ、走らせすぎじゃない? もっと大事なことがあるんじゃない?』と指導者を評価できる知識を持ってほしい」

D級の講義は5時間で、発育発達、技術・戦術理論、指導者の役割、審判・ルール、メディカル、大人の関わりなどを学び、最後にまとめの意味合い的な筆記試験がある。実技は4時間半で、パスやドリブル、シュートなどを教わりながら、指導を受ける立場からコーチング方法を勉強する。実技の試験はない。「逆説的に言うと、やってはいけないことをわかってもらえればいい」と山口技術委員長は意図を話す。

「自分の経験だけでは限界がある」

日本サッカー協会はD級で裾野を広げる一方、情熱のある指導者を引き上げることも行っている。それがC級以上のライセンスだ。

東久留米総合高校の齋藤登監督が、S級を取得した理由について語る。

「自分の経験だけでは限界があるんですね、指導って。サッカーは年々変化し、世界はレベルアップしている。だから学び続けないと、追いついていかない。僕がS級を取得したのは、もっと学び、もっといい指導をしたいからです」

日本全国には7万5000人のライセンス取得者がいて、18人の選手にひとりの指導者がいる割合だ。山口技術委員長によると、中学校ではライセンス取得者が少ないものの、高校の場合は事情が異なる。例えば東京都のサッカー部全体では、3人の顧問のうちひとりの割合で有資格者だと推計される。

Jリーグができる前、日本でマイナースポーツだったサッカーは、なぜここまで発展することができたのか。その背景を山口技術委員長が説明する。

「サッカー協会に、僕みたいなプロパーがいるからです。ほかの協会がサッカーのような仕組みをつくろうと思った場合、育成を仕事とする人を雇わない限り、できないと思いますよ。だからほとんどのスポーツが、学校の先生に二足の草鞋を履かせるわけです。それは昔のサッカー協会も同じでした。それでもやれていたけど、成長の速度は遅かった。昔のままでは、今のようにインストラクターを増やせなかったと思います」

野球界の最大の問題点は組織構造

こうして見てきた日本サッカー界と照らし合わせると、野球界の課題が浮き彫りになる。最大の問題は、日本サッカー協会のように全体を統括する組織がないことだ。プロ野球は日本野球機構、アマチュア野球は全日本野球協会と別の組織に管轄されている。さらにアマチュアは日本高等学校野球連盟、全日本大学野球連盟などに分かれており、選手を少年年代から長いスパンで育成するという発想がない。

だからこそ、以前の連載で紹介したように、「すべての高校生がプロを目指しているわけではない」という発想で、甲子園大会は選手に過度の負担がかかりすぎる日程で組まれているのだ。

サッカーの考え方は、根本から異なる。例えば元日本代表の中村憲剛を高校時代に教えた齋藤監督は、自身の役割をこう考えている。

「みんながプロになれるわけではないと考えるのではなく、みんながプロになれる環境をつくってあげるのが指導者の役目です。そういう環境の中で、さらに個性を持った子が出てきて、プロになるので。才能を奪ってしまうような発想はいけない」

野球界には各種ステークホルダーがいるのでまとまれないが、侍ジャパンにはそれらをひとつにできる可能性がある。音頭をとり、一刻も早く育成体制を築いてほしい。日本のラグビーやハンドボールは、サッカー協会の育成システムを参考にしているという。

理想としては野球界でも指導者ライセンスの導入が求められるが、現実的な一案として、日本サッカー協会のD級のような制度から始めてはどうだろうか。指導者や親が最低限の知識を得て、野球肘に悩む少年がひとりでも少なくなれば、高校やプロも恩恵を受ける。そうやって、野球界一丸で少年の将来を大切にしていくべきだ。さもないと、日本の野球に明るい未来はない。

芦屋学園の先進的な取り組み

一方、野球界の時代遅れの発想から距離をとり、独自の取り組みを始めた高校もある。芦屋学園ベースボールクラブだ。

高校野球連盟に所属せず、元プロ野球選手に指導を受けられる野球チームとして2014年4月に発足し、一部で話題を集めた。現状では日本野球界からつまはじきにされているが、芦屋学園は新たな可能性を模索している。

その取り組みを昨年末に取材してきたので、次回から詳しくレポートしたい。

*本連載は隔週で金曜日に掲載する予定です。