2022/12/3

人口1.6万人の町で生まれたスタートアップは世界をめざす

NewsPicks for Business編集長 / NewsPicks +d統括編集者
担い手不足など農業の課題をロボットの力で解決しようと、農業の町・宮崎県新富町では数年越しのプロジェクトが進んでいます。その中心的存在が、米シリコンバレーでITビジネスを経験し、その後に地方創生活動に身を転じた社会起業家の齋藤潤一さん。そして高等専門学校(高専)出身の20代のエンジニアたちです。いずれも宮崎県に移住しました。

このプロジェクトから生まれたスタートアップ企業「AGRIST株式会社」は、自動収穫ロボットを実用化し、累計数億円の資金調達にも成功しました。彼らがどんな理由で新富町とプロジェクトに引き寄せられたのか、そして今後は何をめざそうとしているのか。新富町で彼らにじっくり話を聞きました。(全4回の最終話)
INDEX
  • 北九州高専発ベンチャー出身者が参画
  • エンジニアと農家の二人三脚で開発
  • 農家の着想、商品価値下げない技術に活用
  • ビニールハウスが研究・開発拠点
  • 1.6万人の町から上場企業の誕生めざす

北九州高専発ベンチャー出身者が参画

新富町で、人手不足など農業の課題をロボットの力で解決しようというプロジェクトが本格的に動き出したのは2017年から2018年のことでした。
現AGRIST共同代表取締役でこゆ財団代表理事の齋藤潤一さんが北九州工業高等専門学校で行った講演をきっかけに、このプロジェクトに加わることになったのが、同校発のベンチャー企業「Next Technology」です。ロボットの研究・開発を行う会社で、人の足のにおいをかいでくさいと気絶する犬型ロボットの開発でも知られています。
2019年の春、まずは現場を見てみようと北九州から新富町を訪れたメンバーの一人が、後にAGRISTのロボット開発の責任者となる秦裕貴(はた・ひろき)さんです。
AGRISTの秦裕貴さん
秦さんは、「新富町の農業をロボットの力で大きく変革させたい」と熱く語る農家の話を聞き、何とかこのプロジェクトを成功させたいと思ったと言います。
「新富町で会った皆さんが、農業の変革とまちづくりに本気ですごく熱くて。自分の技術も生かしてプロジェクトを成功させたいと感じましたし、新しいチャレンジをするのに、とても面白い場所だなと思いました」
秦さん自身も、農業が盛んな福岡県福津市の出身で、祖父が農家だったこともあり、前々から農業に興味があったと言います。10代の頃に役所に電話して「農家になるにはどうすればいいのか」と質問したこともあったそうです。

エンジニアと農家の二人三脚で開発

2019年夏、秦さんらはさっそく自動収穫ロボットの開発を始めました。仲間として北九州高専の後輩の高辻克海さんも誘いました。高辻さんもロボットに関する高い技術を持ち、当時は大学生や高専の学生が競うロボットコンテストに打ち込んでいました。
AGRISTの高辻克海さん(撮影・中村信義)
2人が開発するにあたって大いに参考にしたのが、生産現場の実情をよく知るピーマン農家の福山望さんからのアドバイスです。
秦さんらは学生時代から地上を車輪で走行するロボットをいくつも開発してきました。ただ、福山さんが育てているピーマンの場合、ビニールハウスの地面にせん定した枝や葉が落ちていたり、水で土がぬかるんでいたりするため、地上走行型だとロボットが倒れたり途中で動かなくなったりする恐れがあります。
またピーマンの木の成長に伴い、実を収穫するロボットのメイン部分を高い位置にすると重心も高くなり、不安定になって障害物に引っかかって倒れやすくなります。
そこで、福山さんからはロボットをワイヤーでつり下げ、空中を移動させてはどうか、というアイデアをもらいました。ロープウエーのような仕組みです。試行錯誤の末、2019年秋には試作機を完成させました。
「最低限の機能を持たせたプロトタイプで今から振り返るとまだまだ粗いものでしたが、福山さんのアドバイスのおかげで、実際に自動で動くものを完成させることができました。僕らロボット屋だけで開発していたら、間違いなく地面を走行するロボットをつくって現場で使いものにならなかったでしょう」
ピーマン収穫ロボット「L」

農家の着想、商品価値下げない技術に活用

秦さんと高辻さんが、試作したロボットを実用段階にまで持っていくにあたって苦労したポイントの一つが、つり下げたロボットが揺れるなかでピーマンの実をもぎ取る仕組みでした。
試作段階のロボットは、ピーマンの実をハサミ型のハンドで切って収穫する仕組みでした。でもロボットが揺れだしてしまうとうまくピンポイントで切ることができません。実を傷つけてしまうと商品価値も下がってしまいます。
さまざまな方法を試しては失敗していたとき、福山さんから、あるアイデアがもたらされました。「稲刈り用のコンバインは稲をベルトで巻き取ってごっそり刈り取っている。この仕組みを応用できないか」。そこで高辻さんらがこのアイデアを元に、2本のベルトでピーマンを巻き取るようにしてもぎ取るハンドを編み出しました。
「福山さんと一緒に開発していたからこその着想です。福山さんが農作業しながら思いついたアイデアを私たちと共有して開発してみる。さらに課題をフィードバックしてもらって改善につなげるというサイクルができています」
こうしたロボットのコンセプトはピーマン自動収穫ロボット「L」に引き継がれています。

ビニールハウスが研究・開発拠点

こうした長期にわたるロボット開発のプロジェクトを担う母体として2019年10月に設立されたのがAGRISTです。当初はこゆ財団が進めていたプロジェクトを譲り受け、研究・開発を引き継ぐことにしました。
オフィスは新富町の中心部に置きつつ、福山さんのビニールハウスの隣に「AIロボット農場」と名付けたビニールハウスを建てました。福山さんを通じて、ロボットの将来の“顧客”となる農家のニーズを反映しながら、スピーディーにPDCAを回すためです。
初代代表取締役には、起業経験があり、米シリコンバレーでスタートアップ企業の成長過程も経験した齋藤さんが就任。新富町の地域商社「こゆ財団」の代表理事も兼務しながら、事業の方向性の策定や資金調達などに奔走することになりました。
齋藤 「スタートアップが大変なのはアメリカで見てきたので、最初はちゅうちょしていました。でも、資金調達に応じてくれそうなベンチャーキャピタル(VC)の知人から『齋藤さんじゃないと出せない』と言われて。
この会社が成功して、結果的に新富町に新しいロボット産業が生まれたら、『日本の地方を持続可能にする』という僕の人生のミッションにも合致しているな、と思って、代表をやることに決めました」
秦さんは取締役CTO(最高技術責任者)として参画。Next Technologyの代表と兼務しながら開発を主導(Next Technology代表は2022年4月に退任)することになりました。高辻さんは北九州高専(専科)を休学し、インターンの立場でロボット開発の実務を担当。2人とも新富町に移住することになりました。
提供・こゆ財団

1.6万人の町から上場企業の誕生めざす

AGRISTは「L」の技術を応用して、キュウリ自動収穫ロボットを2021年12月に発表。これらの改善や、さらに他の野菜の収穫にも使えるロボットの開発のため、多くのロボットエンジニアの採用に乗り出しています。
2022年11月時点で秦さん、高辻さんを加えて約15人。VCなどから調達した資金を活用し、参画したエンジニアたちに「ハイレベルの給与」(齋藤さん)を支払いつつ、さらに多くの優秀なエンジニアを集めたい考えです。
当初は齋藤さんだけが代表取締役でしたが、2022年になって秦さんが共同代表取締役に昇格しました。高辻さんも執行役員「最高ロボット開発責任者」に就任し、2022年3月に北九州高専を退学しました。これは、29歳の秦さん、24歳の高辻さんという若い2人を中心に、AGRISTをロボットエンジニア中心の会社としてさらに大きくしたいという齋藤さんの考えがあります。
齋藤 「秦も高辻も『ロボット大好きっ子』で技術力は高いのですが、それだけではビジネスはサステナブルに回らない。ビジネスのフィールドにおいて、どうやってテクノロジーで課題解決を実践していくのか。彼らに任せて経験を積んでもらって会社とともにしっかり成長していってもらいたいんです」
ピーマン農家の福山望さん(写真右)のアドバイスを受けるAGRISTのメンバー
AGRISTをめぐっては、2022年10月に政府が日本機械工業連合会と共催する「ロボット大賞」で、Lを活用した新しい農業モデルが農林水産大臣賞を受賞しました。
技術力だけでなく、ロボットが収穫したピーマンの出荷額の10%を手数料とすること。そしてロボットに合った栽培方法の開発とロボットに最適なビニールハウスなどの販売やロボットが収集したデータの活用を含むビジネスモデル全体が高く評価されました。
2022年10月にVCなど新規投資家5社と既存投資家4社から2回目となる資金調達を実施できたことも、AGRISTのビジネスモデルに期待が集まっている表れでしょう。
齋藤 「決して簡単ではありませんが、自分たちで『儲かる農業』を実践し、成功すれば、連携できるパートナーがもっと増えていくと期待しています。いずれはAGRISTのIPO(株式上場)も実現させたいです。人口1万6千人の町から上場企業が生まれたら、日本中の地方が活気づくと思います。
僕たちのモデルが宮崎だけでなく全国の農業の課題、さらには世界の食糧問題の解決につながると思います。『100年先も続く持続可能な農業』の実現に向けて、まだまだやることはたくさんあります」