贅沢?子どもに「地方で自然体験」させる深い意味
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地元の自治体が小学生を対象に「山の教室」というのを毎月1回やっていて、それに参加していた。スタッフは市の社会教育課と地元の議員さん、猟師さん、山に詳しいおじさんたちで構成されていて、中学生や高校生になっても「サブリーダー」というポジションで活動をサポートする取り組みがあった。
この体験の中では効果測定できない何かがあるような気がしている。
注目のコメント
「灯台下暗しで、地元に資源があるのに、結局田舎の子がそれを享受しているかというとそうでもありません」
と記事の中にありますが、確かに地方に住んでいると大自然が日常の一部ではあっても、暮らしているだけでは自然について深く学ぶということは難しい印象です。
MORIUMIUSのように、自然と人の共存の在り方についてしっかりと企画された体験を通じて学べる機会は都会の子どもたちのみならず、地方の子どももすごくありがたい機会ではないかと思います。
ただ、料金によっては、東京をはじめ経済的に余裕のある一部の人たちだけが享受出来るプログラムになってしまうかと。ビジネスとして成り立たせつつ、地元の人たちも一緒に楽しめるような形になったら素敵だろうなと感じました!
*ご参考: 2017年の1週間の夏のプログラムで、宿泊費は51,408円、プログラム参加費は83,160円だったとのことです。
http://moriumius.jp/news/2017年夏のlive-in-moriumiusご予約受付スタート!/地元の子ども達にこそ体験を通して地域の価値に気付いてもらいたいと思います。シビックプライドを育て、アイデンティティを確立させるためにも地域を知ることは最初の一歩としてとても重要なことです。
「課題としては、こうした体験学習に価値を感じたとしても、交通費も含めそれなりの金額を支払える家庭に対象が限られてしまうことだ」「安全を確保しながら、スタッフにもきちんと対価を払うには適正な価格設定が必要だ。しかし、それがある意味の「教育格差」を広げてしまうのではないかという問題意識が、運営側の抱えるジレンマだ」と書きました。
豊かな体験ができる場を素晴らしく感じる一方で、こうした学びの価値を伝えれば、それがまた新たな競争や格差につながってしまわないかという懸念があり、運営側がそのジレンマにどう向きあおうとしているかということも含めて記事にしたつもりです。