男性の大学教員、ゼミの選考で男子学生を不利に扱う説明「女子は基本的には応募=採用」「公式には言えない」
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ゼミを持っていないのですが、自分の担当科目で履修希望者が多数の場合、選抜を行い、履修者を決定します。そのときは完全に抽選です。
教務課による学内のシステムにも最近は男女の性別は記載されていないので、性別を判別する手段は教員側には直接学生からの情報得るくらいしかありません。多様性確保とかの名目も、完全抽選なら、学内の男女比に沿った割合にはなるはず。
まあ、女性を確保したいという思いが強かったんでしょうね。異性の学生と個別にお茶とか、教員なら絶対やらない行為です。アカハラになりますんで。その点、この教員の意識の低さには、「実務家教員」への認識を悪くさせるものなので、結構問題。
注目のコメント
本記事の教員と生徒のやりとりを読んでいて、「いや、研究を生業とする教員のあなたが言うんかい‼︎」と突っ込んでしまいたくなる発言が多々ありました。
たしかに、社会に出てみればチャレンジする機会は平等に与えられているように見えても、実際は違うということは山ほどあると思いますし、この教員の方も「社会の厳しさを学生に教えていたんだ!親心なんだ!」といった考えだったのかもしれません。しかし、本当の意味での社会が抱えている暗い部分や平和、平等といった概念を真剣に考える大学で、教員という立場の人間がこのような発言を疑いもせずに口に出してしまうことは非常に悲しいことだと思います。なにより、教員の発言を目の当たりにした学生の方がどんなにショックだっただろうか。これ、大学教員に関しては問答無用で良くないのですが、、。
今回の件は男の子と女の子を教員が間違えたから発覚したことであって、実際にこのような形でゼミに入っている女の子は複数人いるのかなーと思ったり。
その子たちも不快な思いをしてゼミにいるなら大学の情報把握不足は否めないですし、ラッキーぐらいに思って入ってるならそれはそれで男女の差異についてみんなで正しく学ぶ必要があると思います。
教員が良くないということは大前提として。”機会は与える。結果の平等はないよ、それは。”
大学教員は自身のとった行動を「機会の平等は保証。結果の不平等は容認。」と認識、評価しているようにとれましたが、
彼の行動を「機会の平等を保証している」と言って良いのかと、違和感を抱きました。
もちろん、教員が言うように「機会の平等を謳っていても、実際は人種という属性的な要素によって採用・不採用を決めている」という実態はあると思います。しかし、そういった性別や人種といった属性によって選抜が行われることは「機会の平等」からひどくかけ離れていますし、それを容認するような姿勢も決して許されるものではないと思います。
教育、職場などあらゆる場所において、属性というラベルによって人を判断、評価するのではなく、あくまでも個人として判断、評価される真の「機会の平等」が達成されてほしいなと思います。
また「機会の平等」を達成することは、より良い選抜・配分を行うことに繋がり、社会全体にとって有益であるという認識も同時に広がれば良いなと思います。