「現場を管理しすぎる会社」が没落する必然3大理由 「失われた30年」最大の被害者は「現場」だ! - ニュース・コラム
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遠藤功氏の「生きている会社、死んでいる会社」の著作のエッセンスはまさに現場力を問うものです。
そして「カルチャーとしての現場」として、失われた30年を40年にしないために精魂を傾けて著した本です。
豊田章男社長は「トヨタのトップダウンはトップが現場に降りていくことだ」と語っています。
一方大企業のトップは、現場に降りて汗を流している社員に声をかけているでしょうか?
株価ばかり気にして、SDGsも株価対策ということで社員に指示しているだけで、トップ自ら語らなければならない「私たちは何のために存在するのか?」を語ってはいないのではないでしょか。
現場管理をしたがるのは、何か問題があったら責任を問われるからという「保身」からではないでしょうか?
イノベーションと言いながら、現場を思考停止にさせるような管理でがんじがらめにしているトップが、社員のやる気も自主性も損なっているのに、トップは自らを反省することがないのです。周りは茶坊主で固めるような人事で経営しているようなトップが、組織を衰退させ、そういう大企業が日本を衰退させているのです。
最後は「カルチャー」になるのは、当たり前なのです。
稲盛和夫氏が「フィロソフィー」を徹底したのは、社員一人一人が経営者としての自覚を持ったとしても、助け合いという企業風土が毀損されてしまう利己主義に陥りかねないからです。これを利他主義の自主性に転換させるのが、フィロソフィーであり、それが浸透し企業が育つ土壌になったのが、カルチャーなのです。
そう考えながら読みました。
注目のコメント
"① 【自主性】自分の「力」で考え、行動する
② 【自発性】物事を自らの「意志」で進んで行う
③ 【自律性】自分の立てた「規範」に従って、自らの気持ちや行動をコントロールする"
ここでの読み手は、経営者。その経営者から仕事を貰う為には、このような表現にならざるを得ないのだろう。目に浮かぶようである。朝の朝礼の訓令で、社長が部下に向かって、この記事を引用し、それを聞いている社員が神妙な面持ちで聞いている様を。そして解散後は、そんな社員の頭からその言葉がきれいさっぱり消えている。このような風景が、今の日本のあちらこちらで見られ、その結果、日本国の低迷が続いている、のでは?
ある現象が繰り返し繰り返し生じているとしたら、それは一人一人の問題ではなく、その会社の文化を含むシステムが根にあるのではないだろうか?そしてそのシステムを支えている経営層の空気化してしまっている基本的な価値観や考え方。
本来、低迷を続けている会社の経営層は、市場原理で、スクラップアンドビルドされ、新陳代謝されるものなのだろう、本来は。止まる水は腐る。
かっての英国のように、この国もとことんまで追い込まれて、それでようやく目覚めるのだろうか。