「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解せぬ日本の欠点
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うっかり読んでしまったが途中でやめた、相変わらずの東洋経済オンラインクオリティ。つくづく「日本人」とデカい主語の論説はデタラメが多い。想像力欠如とやら、そんなものアメリカ人でもインド人でもどこの人であれ平均値は大同小異だろう。むしろ日本のほうがまだいわゆる「縦のダイバーシティ」はあるほう、ロンドンやらシンガポールやらは横のダイバーシティつまり人種多様性はあるが触れる人皆いいとこの子供に生まれて境遇が近く恵まれない境遇の人に対して一生手触り感無いままの人が多い。
著者は『美術品を汚すような抗議活動』に理解を示すような価値観が新しく正しいものであり、それを理解していない日本人は想像力が欠如しているという風なことを言っている。
それは単に著者の価値観が違うだけの話であり、犯罪的な活動を否定的に捉えるのは変わらなくて当たり前の価値観だろうと僕は思う。
もちろん気候変動について抗議者らが不満を持っていることも、気候変動について様々な問題があること自体は理解できる。
次にひろゆきさんのツイートでバズった『辺野古での座り込み?』の件ですが、これも著者の無理解だと思う。多くの人は『基地に反対している人達がいること』それ自体ではなく『座り込み抗議が当初の勢いを失い形骸化しつつあること』が『座り込みを続けているのに人がいない』という部分に端的に現れていて、じゃあ『座り込みじゃなく抗議XXX日目』にするとかすればいいんじゃないか?ってことだろうと思う。
図らずともそれによって注目され、基地反対派の中に過激な人達がいることが再注目され非難の対象になったという話。僕は第三者的な立場ではあるが、もし基地反対派であったのなら表記を変更した上で違法な抗議をするような人を一線を引いた上で広く理解できるような活動を呼びかけると思う。反対という意見自体が悪いなんて1ミリも思わない。なんで関係ない日本が理解せにゃならんのかww
そもそもこの活動にかんして、国関係あります?
道徳的ではないが、大半が国関係なく無関心だし
活動事態に反論してる人も多いのでは?
その上で、日本が理解できないという言葉の意味は果たして内容に記載できているのか甚だ疑問だね