日本の富裕層人口は2位 「寄付文化」でイノベーションは生まれる
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「人が富を持ったことを自慢してもすぐに褒めてはならない。
その富をどう使ったかを見極めるまで褒めてはならない」ソクラテス)
慈善活動が富裕者の自己満足であってはならない、そうであれば寄付が社会課題の解決につなげようとする富の使われ方です。
慈善活動の寄付に見返りを求めるとしたら、富を増やすための「投資」であってはならないのは、自明です。
しかし、寄付がスタートアップを助けることになったとしても、その裏で社会の富が富裕層に還流するようなことがないかについては、注意が払わらなければならないと思います。
寄付=善、と必ずしもならないのは本当に悩ましいです。
注目のコメント
寄付の前提として「自分がパッションを持てるような分野を作る必要」がある、というのが、一番心に刺さった部分です。こどもの多様な興味関心をはぐくむ教育が、「こども政策」の一部に組み込まれると、日本の将来の景色が変わるかも、と思いました。
寄付の文化の醸成、非常に重要だと感じています。
寄付が日本でアメリカに比べて進まない理由は色々あるとは思いますが、その一つに、私にも社会の役に立てる、貢献できる手段がある、と考えられるかどうか、なのではないかと感じています。何も多額の資金がなくても、ボランティアや少額な貢献でも価値があるわけです。そこに社会をより良くしていける可能性が自らにもあるのだ、と思えるかどうかは非常に重要なのではないかと思います。
これはESGやSDGsなど全てにつながる考え方なのではないでしょうか。もはや環境問題も貧困や差別などあらゆる課題が、どこかの誰かの問題ではない。自分自身にも全て繋がる課題であり、その解決を目指すために行動することが、ひいては社会をより良くし、それは自らにも返ってくること、のはずです。
そういう視点で考えられれば、寄付がもっと多くの人に身近なものになるのではないかと感じています。アメリカの文化のうち日本に全く浸透しないものがいくつかあります。その筆頭が個人的にキリスト教と社会貢献への寄付だと思っています。どういうわけか全く浸透しない。
伊勢神宮の式年遷宮には20年に一度とはいえ財界を挙げて数百億円の寄付をするのに気候変動には寄付しない。とても不思議です。
何かで読んだことがあるのですが、式年遷宮への寄付は他の寄付とは区別され、全額損金参入できるから、でしょうか?