【羽生雄毅】培養肉でも「肉を食べるのはタブー」な時代に
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>「牛肉を食べる」ということが、現代日本において、猫や犬を食べるような感覚になるというか。
いわんとすることはわかるけど、順番が逆のような気がします。
猫や犬を食べることを野蛮だと感じるのは、ペットとして飼うという文化がめちゃくちゃ浸透してるからですよね。
牛や豚や鶏にそういった価値がないとは全く思いませんけど、基本的に畜産をするために飼われている生き物が、その価値がなくなったらペットとして生き残るのかというと難しいのでは?
飼うのにかかるコストも犬や猫に比べたら段違いだし。
その上、この仮定ってヴィーガン的価値観がより普及するのが前提で、その価値観だと卵も乳もアウトじゃないですか。
全滅はしないでしょうけど、個体数は激減すると思います。
なんかヴィーガン的価値観の人って「畜産を止めても牛や豚や鶏の価値は今と変わらない」みたいな変な固定観念があるんでしょうか?
注目のコメント
ちょっと違う話ですが、羽生さんの話を聞いていて、ここ数年のお酒やタバコのことを考えました。
立場の変化というか。
私が大学生だった頃は、みんな普通にお酒もタバコも楽しんでいて、それが当たり前だったんですが、今って
「タバコ吸うんだ?(このご時世に)」
「お酒飲むんだ?(えー、時間がもったいない)」
みたいな、言外にちょっと「野蛮だな」と思われているというか。
環境意識の変化によって、毛皮のコートなんかも「ゴージャスですごい!」っていうより、「まだそんなの着て喜んでるの?」って感想を抱く人が増えてるんじゃないでしょうか。
このまま肉の環境負荷があり続けて、ヴィーガンになる人が増えていったら、間違いなく「まだ肉食べてるの?」って時代になりますよね。
食べたいけど。。SFに興味があって好奇心がモチベーションとなっているだけに、「培養肉の時代がくる!」というベンチャー的な発想ではなく
むしろ「肉なんて野蛮って時代がくる」という社会の変化そのものに関心があって、割とディストピア思考にも惹かれている。
という点が個人的に面白いなと思いました。あと、昆虫食に触れていないのも好感度高いです。
肉が嗜好品の世界になっていって、タンパク質摂取で圧倒的に効率も良く実績もある大豆があるのに昆虫を選ぶなんてあるわけがない。と私は思っています。
その上で細胞農業に挑戦しているといくことで、「なぜ我々は肉を食うのか?」という人間の業的なところにアプローチしていったら
どんな仮説が出てくるのか、そしてどのように人の行動は変化していくのか?私も興味があります。