「つえをついていると身体障害者に見える」。森喜朗氏の発言に「何も学んでない」と批判の声が続出。金沢医大の式典で
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ずいぶんと森氏に寛大なコメントが多いですが、身内に身体障がい者がいる身としては、杖をつくだけで身体障がいだなんて、障がい者の現実を知らなさ過ぎるし、冗談で見過ごせませんね。
森氏を擁護する人たちは自由ですが、私はそういう人たちは嫌いです。
注目のコメント
不用意な発言だと思いますが、ヘッドラインにとるような問題発言とは思いません。要は、五輪問題などで批判を受け、「みんなが大事にしてくれない」という自身の立場を踏まえてのジョークでしょう。身障者やつえをジョークの対象にするのは不適切です。ただ、森さんが憎いからといって、なんでも問題化するのはどうなんでしょうか。
ハフポストの記事は「SNSでは批判の声が広がっている」としています。共同通信の報道をなぞるだけで、考察を加えているわけでもありません。炎上させること自体が目的のような記事で、違和感をおぼえます。問題発言だというなら、「批判が広がっている」と客観報道を擬するのではなく、どこに問題があるのかをハッキリ指摘するべきです。
もとの共同通信の記事では、「障害者をやゆしているとも取れる発言で、物議を醸す可能性がある」としています。物議を醸す可能性がある、というのが記事になるのが驚きです。森さんが物議を醸す発言をしないか、つねにチェックしていて、すこしでも物議を醸しそうであれば、それを記事化しているということになります。それが報道記者のやるべき仕事でしょうか……。
森さんを擁護して得をするのは、周囲にいるごく一部の人だけでしょう。私もこんなことを書いていると攻撃を受けそうですが、そういう分極化には付き合いたくありません。本当の問題は、森さん個人にあるのではなく(もちろん問題もありますが……)、森さんのようなオジサンを利用して物事を進めようとする日本社会の体質ではないでしょうか。Newspicksのコメンテーターは、森氏には優しい人が多いのは、コメンテータの政治的スタンスが反映しているのでしょうか。金沢医大には元秘書の方も理事に就職されたりしていろいろ口をきいてあげたりしておられますから、五輪と同様相変わらずの印象です。
しょうもない記事。
何も学んでないのは東京新聞。
ここ最近の東京新聞は哲学的にもジャーナリズム的にも安っぽいヒューマニズムに訴えかけ、かつまた「ネットで批判」とか「物議を醸す可能性」といった表現でジャーナリズムとしての責任も取らない書き方をする。
自分には障害があるが、全く気にならない。
また、年齢的には団塊ジュニアだから実際に杖のあるなしで電車や通行中の扱いは変わってしまうことを体感してる。それが不満でもないし、辛い時はわかるように杖を持とうと、健常者とのコミュニケーション的に捉えている面もある。
それはある種の事実だし、それを口に出したところで気にもならない。「何も学んでない」と批判する人たちは障害者が感じているケースバイの心情、例えば障害者として見られたくない、気にされないように生きたい、でも辛い時には優先席に座れたらなあ、という相反する感情がある事を理解もしていない。パターナリズムそのものだと思う。
もう一つ、85歳になり、7月には倒れた森喜朗元首相(ボクは彼が好きではない、と断っておく)がリハビリを受けて良くなって出てきたことを考えれば、今まで老体だけど健康でいたのに、周囲の優しさが増えて戸惑う気持ちを想像してしまう。そんな一言すら発することもできない、察することもできない新聞社に「くそくらえ」と思うね。