「Twitterを参加自由の地獄絵図にはできない」イーロン・マスク氏が買収完了の声明(全文)
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敢えて水を差すような事を言うなら、ちゃんちゃらおかしい。
今まで自分はTwitter上で散々まるで通り魔のように唐突に他人を貶したり傷付けたりする発言を繰り返しておきながら、あるいは国家機関であるSECとの和解によりテスラに関するTweetは全て会社が目通しするという約束も全くもって破っておきながら、
「何を言っても罰せられないような、参加自由の地獄絵図にすることはできません。この国の法律を遵守することに加え、私たちのプラットフォームは、すべての人を温かく迎え入れなければなりません。」
とは、文字通りどの口で言ってるのか。
排ガスを出さないスポーツカーで公道を埋め尽くす、宇宙に人が住めるようにする、シリコンバレーから渋滞をなくす、そういったムーンショットは余人をもって替えがたいこの人の真骨頂で尊敬しているが、こと言論の自由と個人情報や国家安保、あるいは人々の分断やら倫理やらコンテンツモデレーションやらといった優れて文化人類学的、地政学的、法的にセンシティブなマターはこの御仁に適性があるとは私には思われない。
尤も、この史上最大の敵対的TOB、それもいち個人による巨大テックカンパニーに対するそれの是非については、今後何年あるいは何十年かたって歴史によって判断されるのだろう。私がTwitter社に在籍していた2010年代初頭、Twitterは自らの存在意義を”Global Town Square”としていました。それを取り戻そうというのが、イーロンの買収の目的と理解しました。
“私がTwitterを買収した理由は、文明の未来にとって、暴力に訴えることなく、幅広い信念を健全な方法で議論できる共通のデジタルな「町の広場」を持つことが重要だからです。現在、SNSは極右と極左の声の増幅させて、さらなる憎悪を生み、社会を分裂させる危険性が非常に高まっています。”
「町の広場」、まさにTown Squareです。民主主義は人々が健全に議論を戦わせる”Town Square”から生まれた、と欧米では語られています。かつてのTown Squareは文字通り、リアルな町の広場だったが、それをデジタルで世界であまねく提供するということです。
そして重要なのが以下の観点です。残念ながら、今のTwitterはそうなっていません。
“Twitterで何を言っても罰せられないような、参加自由の地獄絵図にすることはできません。この国の法律を遵守することに加え、私たちのプラットフォームは、すべての人を温かく迎え入れなければなりません。例えば、あらゆる年齢層から成熟した人まで、映画を見たりゲームをしたりすることができるように、自分の好みによって好きな経験を選ぶことができるのです。”
一方、イーロンは広告事業をマネタイズの手段として否定していません。優れた広告はユーザにとって優れたコンテンツとなりうるとしその可能性に前向きです。
“基本的にTwitterは、お客様のブランドを強化し、企業を成長させる世界で最も尊敬される広告プラットフォームを目指しています。私たちとパートナーシップを組んでくださったすべての方に、感謝します。一緒に素晴らしいものを作りましょう。”
追記:考えてみるとこの声明の内容は10年前にTwitter自らが言ってたことで、イーロン独自のものでも何でもないんですよね…。いまの言論空間は思想の自由市場ではなく、刺激の自由市場となり、コンテンツの良質さはどれだけ他者の感情を昂らせ、人に執着心を植え付け、注意を惹きつけるかによって決まる「アテンション・エコノミー」の原理に基づいている。
このイーロンの声明からはそのような市場、言論空間への問題意識を強く感じ、心から期待しています。