2022/10/28

【宮城】衰退産業と言わせない。日本の水産業を変えてみせる

もの書きユニット「ウネリウネラ」 フリー記者・ライター
2011年3月の大地震と津波は、“水産業の町”宮城県石巻市に甚大な被害をもたらしました。漁師は船を、加工業者は工場や設備を津波に流され、事業再開のためには莫大な借金が必要な「マイナスからのスタート」。そんな状況を“アツさ”と“アイデア”で乗り切ろうという団体が、地元の若手漁師や水産業者が集まった一般社団法人「フィッシャーマン・ジャパン」です。

「カッコいい、稼げる、革新的。水産業を新“3K”に!」「水産業に関わる『フィッシャーマン』を1千人育てる!」――。人材育成や販売戦略、環境問題への取り組みなど、その活動は多岐にわたります。

2014年の設立から丸8年。彼らは日本の水産業をどう変革しようとしているのでしょうか。キーパーソンを連載で紹介します。初回は代表理事として引っぱるワカメ漁師、阿部勝太さんです。(4回連載)
INDEX
  • のどかな浜を津波が襲った
  • 法人設立も、“マイナス”からのスタート
  • とにかく前向きでアツい仲間を集めた
  • あえて「水産業の日本代表」を名乗る
  • ちょっとでもアクションを起こす
  • 震災から11年、どこまで到達したのか
阿部勝太(あべ・しょうた)一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン代表理事。宮城県石巻市・十三浜のワカメ漁師。東日本大震災後、同じ浜の漁師仲間5世帯で漁業生産組合「浜人(はまんと)」を立ち上げる。2014年、旧態依然とした水産業の仕組みに疑問を持つ若手漁師や水産業者らに声をかけ、フィッシャーマン・ジャパンを設立。

のどかな浜を津波が襲った

追波浜、小滝浜、小泊浜…。石巻市北東部の十三浜地区にはその名の通り、「浜」と名のつく集落が13あります。そのうちの一つの大指浜で、阿部勝太さんはワカメ・コンブ漁を営んでいます。阿部家は祖父の代から十三浜の漁師でした。
2022年夏に仕事場を訪れると、阿部さんは春先に取ったワカメの品質を入念にチェックしていました。
宮城県石巻市の北東部にある十三浜地区の港の一つ、大指浜
ワカメの色を入念にチェックする阿部勝太さん
阿部 「十三浜のワカメは肉厚で歯ごたえがいいのが特徴です。あたたかいお汁に入れてもシャキシャキ感が残ります。かけそば、かけうどん、素ラーメンにうちのワカメを少し入れるだけで、丼に磯の香りがぱっと広がります」
分厚い肉質が特徴の十三浜のワカメ
2011年3月11日午後2時46分。阿部さんは大指浜で、その日の朝に取った天然のヒジキをゆでていました。揺れがおさまると漁師仲間と共に高台へ避難。そこで自宅や一家の漁船が波に流されていくのを目にします。
幸い阿部さんの家族は無事でしたが、港は壊滅的な状態でした。「正直言って、もう漁師はやめっかなーと思っていました」

法人設立も、“マイナス”からのスタート

2011年の秋、十三浜の漁師5世帯は漁業生産組合「浜人」を設立することを決めました。国が被災事業者の「効率化」を促すために新たにつくった「グループ化補助金」を受け取るためでした。阿部さんの父もこの計画に乗り気で、結局親子で「浜人」の役員に就任することになりました。
震災後に地元の漁師たちが設立した漁業生産組合「浜人」
阿部 「船や設備の復旧で1億円近くの借金をしましたが、事業は軌道に乗らず、立ち上げから2年間で6千万円もの赤字を出してしまいました。不安で夜も眠れなくなりました。親父たちとケンカをしましたよ。このままじゃだめだ。おれにやらせてくれと言いました」
莫大な借金を背負いこみ、マイナスからのスタートです。阿部さんは従来の商売の仕組みを変えました。生産・加工したワカメやコンブを漁協に買いとってもらうだけでなく、自らスーパーマーケットなど小売店に営業をかけ、販路拡大を模索したのです。
ここで「浜人」という“会社”をつくったメリットが生まれます。5世帯で収穫や加工の仕事を分担することで、阿部さんが営業に回る時間をつくれるようになったのです。
阿部さん親子ら十三浜の漁師5世帯がつくった「浜人」の作業風景

とにかく前向きでアツい仲間を集めた

「浜人」の事業を立て直すために必死になっていた阿部さんは2014年、水産業の底上げをめざす組織を立ち上げようと決心しました。
阿部 「ちょうど震災から3年たって、必死に頑張っても個人ではできないことがあるなと気づいた時期です。例えば行政の事業を請け負うのは、組織がなければ難しいでしょう。個人の努力を本気で後押しするような組織をつくりたい。それがフィッシャーマン・ジャパンのはじまりでした」
きっかけとなったのが、知人を介して知り合った、インターネット大手ヤフーの社員の長谷川琢也さんでした。
東日本大震災の復興支援に力を入れていたヤフーは2012年7月、石巻市内に復興支援事業の拠点として「ヤフー石巻復興ベース」を開きます。その中心メンバーとして関わってきたのが長谷川さんでした。
阿部さんは、長谷川さんにビジネスについての相談にのってもらっていました。ある時、長谷川さんが「漁師の人たちって、みんなで一緒に活動する団体がないよね。そういうのがあってもいいんじゃないかな」と話すのを聞いていました。
しばらくしてから、阿部さんはメンバーを集めました。呼んだのは、商談会や経営の勉強会で知り合った、若い水産業者たちでした。
阿部 「とにかく前向きでアツい人に声をかけました。『震災を機に今までの倍もうけたい』とか言っている人たちですね。意欲満々。受け身の人はゼロです」
石巻市の中心市街地の一角にあるフィッシャーマン・ジャパンの事務所

あえて「水産業の日本代表」を名乗る

当初、メンバーたちは週1回ほどのペースで話し合いを続けました。友だち同士の「おしゃべり」ではなく、真剣な「議論」です。司会役を務めたのは、事務局長に就任した長谷川さんでした。
――おれたちの目標は?
――水産業の課題ってなんだ?
議論の結果、まとまった水産業の課題は、①人、②環境、③経済の三つでした。担い手不足や海洋汚染が深刻になっている。そして「もうかる」仕組みを作れなければ、担い手も集まらないし、環境問題に取り組む余力も生まれない――。
団体の名前は「フィッシャーマン・ジャパン」にしました。「三陸」や「宮城」ではなく、あえて「水産業の日本代表」を名乗ることにしました。
阿部 「僕らのゴールは、子や孫の世代が水産業で飯を食っていける状態にもっていくことです。日本の水産業は『震災』というキーワードと関係なく、急激に衰退していることが分かります。だったら、みみっちいことを言うのはやめようと。日本の水産業全体にプラスになることにチャレンジする。そういう気持ちの方がいいんじゃないかと思ったんです」
話し合いの中で二つのスローガンが生まれます。
スローガン①:水産業を新3Kに
全国の漁業者の数は15年間で約3割も減少している。「3K(きつい・汚い・危険)職場」という負のイメージが貼りついているからだ。これを改善し、同じ「K」の頭文字をとって、「カッコいい、稼げる、革新的」の新3K職場をめざす――。
スローガン②:「フィッシャーマン」を1千人育てる
漁師だけ増えても水産業は持続できない。加工・流通・販売業者、さらには行政、消費者。あらゆる角度で水産業に関わってくれる人を増やしたい。フィッシャーマンは直訳すれば漁師のことだが、もっと広い意味で水産業に深くコミットしてくれる人を全部まとめて「フィッシャーマン」と呼び、1千人増やそう――。

ちょっとでもアクションを起こす

人材育成の柱となる事業が「トリトン・プロジェクト」です。漁業に関心を持つ人の相談にのり、漁業体験ができるところを紹介したり、空き家をリフォームして見習い漁師が暮らすシェアハウスを作ったり。
2015年に石巻市の水産業担い手センター事業を受託してスタートしたのを皮切りに、他の自治体でも行政と連携した人材育成事業を請け負いました。
これまでに40人を超える若者がトリトン・プロジェクトを通じて漁業に就業しました。事業はさらに広がり、水産業の仕事を紹介する求人サイト「トリトン・ジョブ」の運用も始まっています。
フィッシャーマン・ジャパン公式サイトの一部。ダイナミックな漁の写真などで水産業のイメージ刷新を狙う。
他にも、ECサイトの開設、AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)の技術を取り入れたスマート水産業の研究……。フィッシャーマン・ジャパンはさまざまな事業を展開しています。ただ、「最初の約1年は成果が出ないことも多かった」と阿部さんは言います。
阿部 「メンバーが持ち寄ったアイデアはなるべく断らず、トライしてみました。その結果、成果が出ないこともたくさんありました。でも、失敗をしないといつまでも絵空事のままで、課題が見えません。失敗をくりかえした結果、最初はゼロだった成功確率が少しずつ上がって、今では4割くらいになってますかね。思えば、成果が出なかった最初の1年間がとても大切だったと感じます」
阿部さんが心がけていることはいたってシンプルでした。
「明日やろうと思っていることは今日のうちにやる。とにかく経験値を積むために、なんでも後回しにはしない。ちょっとでも、アクションを起こす」
久しぶりに集まったフィッシャーマン・ジャパンのメンバーたち。手前が阿部勝太さん

震災から11年、どこまで到達したのか

東日本大震災から11年が経過し、フィッシャーマン・ジャパンの活動も9年目に入りました。メンバーは約30人に増え、代表の阿部さんも36歳に。これまでの道のりをどのように評価しているでしょうか。
まずは「“フィッシャーマン”を1千人育てる」という目標について。
阿部 「当初イメージした『フィッシャーマン』はもう1千人を超えているでしょう。今後は、その質をいかに高められるかが勝負です。ノルウェーなどの水産大国では、一流大学を出て水産業に入っている人がいっぱいいます。日本でも、商社や金融、経営コンサルタントをめざしていた人材がこの業界に入ってくる流れを作り出したいです」
一方、「水産業を新3Kに」という目標については、まだ道半ばだと阿部さんは言います。
例えば、自身が経営の中核を担う「浜人」も、スタート当初の借金は返済したものの、「まだ思い描いていたものの6割くらい」。機械化を進めて働き手が十分休めるようにすることや、海外に販路を開拓し、利益率を高めること――。「事業の完成形までにはあと7、8年かかりそうです」と阿部さんは言います。
2018年現在、全国の漁業者の平均年齢は56.9歳。あと10年たてば、引退の年齢に近づく漁師が多くなります。
阿部 「正直言って、焦りと危機感しかないです。手前みそになりますが、各メンバーの努力で少しは変わったこともあります。でも、スピード感が足りません。震災から10年なんてあっという間でした。これからの10年も、うかうかしているとすぐ過ぎてしまう。ビジネスの仕組み作りでもっと大きなインパクトを与えないと。多くの漁師が70代を過ぎてからでは遅いんです」
業界全体で言えば、新型コロナウイルス感染症問題で打撃を受けた漁師、水産業者も少なくない状況です。しかし、そんな状況でも阿部さんは下を向きません。自らの船「海勝丸」の上に立ち、こう語ります。
「コロナが起きて、自分たちの事業なんて何かあればすぐだめになるなと思いました。でも、これって震災の頃にちょっと似ているなと感じる部分もあります。何でもかんでも情報を集めて、新しいチャレンジをしてやろうという雰囲気が、また強くなっている気がします」
フィッシャーマン・ジャパンがこれからどんな挑戦を続けるのか。第2話以降でそれぞれのメンバーたちの活動を紹介します。
Vol.2に続く