「少年A」の全記録、裁判所が廃棄 神戸連続児童殺傷、家裁「運用、適切でなかった」 内規に抵触か
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注目のコメント
いったいなぜなのか、その理由を当事者もわからないという、あまりに情けない事態です。歴史への責任感の欠如は、私たち日本社会の大きな欠点であり、その悪弊がまた出てしまいました。残念です。少年事件では、少年ライフル魔事件(1965年〕、永山則夫事件(1968年)など歴史的な事件は他にもあります。ただ、社会に与えた衝撃の大きさ、しかも当事者は今も生きていて、さらに裁判ではなく密室の審判で行われたこの事件ほど「記録の保存」が求められる事件はありません。歴史への背信だと考えます。
「公権力を行使した記録は公の財産」という基本的な考え方のもとに、情報公開制度や外交文書公開制度があります。裁判記録も、極めてプライバシー保護の必要性が高い文書ですが、同時に公の財産として後代に資するべき性質を持っています。
特別保存する記録は、いつ、どういう理由で、の記録を残すことになっていますが、廃棄にあたってはそれらの記録が残りません。そのため「時期や状況が分からない」のだと思いますが、残念というほかありません。この手の出来事は結構あって、記事中にある通り憲法裁判の記録が廃棄されたり、富士山測候所の記録が捨てられたり、高知大で蔵書が廃棄されたり。表にならないだけでこのほかにもいろいろあるんだろうなと。
https://newspicks.com/news/4115700
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20191103-OYT1T50225/
ルールを逸脱して廃棄していたらなら、それは非難されて然るべしだとは思う。ただ保存ルールとは別に、データの保存方法自体はもっと議論をしても良いのかなとは思う。裁判記録がどのように保存されているかは分からないが、少なくても紙は嵩張り重量もあり、湿度・温度管理しないと長くもたない。つまり維持費が高い。無限に金を掛けれるなら紙でも良いがそうはいかないハズ。データはスペースは取らないが消失リスクが高い。Pros&Consを鑑みて妥当な保存方法を検討するのが建設的かなとは思う。