【藤原和博】「100万分の1」を生み出す、レゴ型人材とは
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今、私は山梨県教委と組んで、知事特別顧問として同県の中等教育の改革に取り組んでいます。
和田中改革当時の文科省のカウンターパートが山梨県教育庁の次長に就任したからです。中学高校での30回の公開授業、教頭や指導主事の研修、PTAへの講演、そして「よのなか科」を実践できるマスターティーチャーの育成など。
1校で3回の「よのなか科」授業をやるのですが、1回目「10年後、君に仕事はあるのか?」、2回目「ハンバーガー店の店長になってみよう!〜マクドナルドからプロのゲスト登場)、3回目「商売繁盛の方程式を作ろう!〜流行る店の要因を付箋紙を使って分類し分析する手法」と教え、中高生は大喜びで学びます。
その際、GIGAスクール構想でばら撒かれた端末も使います。
実は、タブレットや簡易パソコンはこのまま放っておくと、教員が一方的に教える「一斉授業」がただ単に「デジタル一斉授業」に変わるだけで、学校教育が抜本的に変わる役には立ちません。
なぜなら、ほとんどの教員はこれらの端末が教科書の代わりか、Webで写真や動画を見せられるインプットの道具だとしか思っていないからです。
児童生徒から教員への情報の逆流そこがICT化の肝だと気づかないのです。
私の使い方は違います。
高校生の場合は個人のスマホを教室に持ち込んで学校WiFiに繋げ、アウトプット(発信)端末として使います。タブレットやPCもある場合はそちらをインプット端末として併用します。
山梨県では他県の例に漏れず、マイクロソフトとの包括契約をしていましたが、生徒のスマホの使い勝手を上げるために、一条高校でも活躍した「Cラーニング」を入れて、生徒がスマホから発言した意見や質問や授業に対する評価を、無記名でスクリーンに表示できるようにしています。
これをやると格段に生徒からの発言が活発になり、皆がこぞって自分の考えやアイディアを発言してきます。「わかる人、手をあげて?」は前時代のやり方で、正解がわかった生徒だけを評価するジグソーパズル型授業の典型だといえます。
レゴ型人材を育てるには、徹底的に生徒の意見や考えを問いかけていくスマホを使ったアクティブラーニング型授業への転換が必要なのです。
公開授業ですので、参加したい人は山梨県教委にお問い合わせください。大震災の時は一方で「きまり」を超えて上まで逃げて助かった子供たちの話も聞いたことがあります。結局「何のためにやるのか」が分かっているかどうか、いつの間にかルールが絶対になっていないかということではないかと、元「先生の言ったことを守る良い生徒」は思いました。先日も書きましたが、あまり「こうあるべし」を前面に出すと、一律の罠にはまってしまう気がします。
昔ベストセラーになった「フラット化する社会」によると、21世紀のはじめにビル・ゲイツが、ある記者から
(当時は今よりも競争力が高かった)「日本は創造性が弱く、米国が差別化できる部分ですよね」といった類の質問されたところ、
ご本人は、「創造性の前に、基礎学力がないと話にならん。そもそも、もっとも創造性のある国が日本ではないか」といった旨の返事をしたそうです。
創造性については、当時マイクロソフトが目をつけていたゲーム産業。特に任天堂など日本のコンテンツが輝いていた時期でした(今も輝いているともいますが)
要は、基礎学力も想像・創造力も大事。そして、このうちどちらかが得意なだけでも、その人は尊敬に値すると思っています。
ところが、日本だと減点主義になるので、創造性があるが処理力に欠ける人が評価されない。実際には、今回登場する情報編集力が高い人は日本にもっといるはずなのに、活躍できていないのではないかといった懸念も抱きました。