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人生でこの人ならビンタをされたかった唯一の方です。
子供の頃からずっとテレビにいて、真っ直ぐ生き元気を与える人、病床からの動画も何かで拝見しましたが勇者でした。
なんだかがっくり来ました。

御冥福をお祈りします。。。
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金曜夜のプロレス中継を古舘さん実況で見ていた世代です。赤いタオルを首にまきガウンを纏った入場がカッコよかった。入場曲「猪木ボンバイエ」は「猪木、奴をやっちまえ」という意味だそうです。

必殺卍固め、異種格闘技戦でのモハメド・アリへの足攻撃、巌流島でのマサ斎藤との決闘…門司に行った際に島にも寄りました。巌流島の歴史刻む記念碑にそのことも記されていました。

政治家としては無謀な面もありましたが、イラクでの邦人救出、北朝鮮との独特のパイプもありました。平壌のスタジアムでアメリカのリック・フレアーと対戦した際、現地で取材しました。6万人の無表情な北朝鮮市民が、敵国アメリカのレスラーを、力道山の弟子がやっつける姿をみて大はしゃぎだったのを覚えいます。

時代のヒーローでした。お疲れ様でした。
日本で最も有名な日本人ムスリムだったといえます(1991年に湾岸戦争の時にイラクへ行って入信)。
(日本人女性で最も有名なムスリムだと、デヴィ夫人でしょう。)
 毎夜六本木で飲み歩くような人でしたが、そんなムスリムは世界中にたくさんいます。何を飲もうが食べようが、ムスリムはムスリムです。
亡くなる前に、北朝鮮とロシア、イラク、パキスタンについて、聞けるだけ沢山のオーラルヒストリーを残すべきだった……お茶の間のヒーロー、政治家、実業家、詩人、YouTuber。その他にも様々、激動の人生。日本の歴史を彩った人物。

Wikipediaをみるだけでもその一端がうかがえます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E7%8C%AA%E6%9C%A8
R.I.P

あまりもう普及してないけど、この自伝は衝撃だった
1967年に500名の移民に交じってブラジルにわたった中学生の猪木寛至
1.5か月の船旅の最中に祖父を亡くし、現地に着くとコーヒー畑で過酷な労働、「私たち一家は奴隷だった」 という境遇の苦しさから兄も精神を病んで失踪。ブラジル遠征中の力道山と偶然出会わなければ(スーパースター力道山と一介の労働者の猪木が会えたのも相当な確率の偶然の掛け合わせ)、新日本プロレスそのものが無かっただろう。まさに歴史を築いた男。
『アントニオ猪木自伝』
https://www.amazon.co.jp/dp/4101297215
悲しいです。
理由2つ。

昭和の楽しい思い出がよみがえり、何もかもいつかは必ず終わることを感じたから。

もう一つは猪木さんとお誕生日(2月20日)の月日が一緒だから。
なんか悲しい。

志村けんさんも同じ誕生日だった。

悲しい。
今日もありがたく生きるしかないんですが。
プロレスラーたちがTwitterにコメントを寄せている。
中邑真輔選手との写真がよかった。
稲盛和夫さんも「燃える闘魂」という言葉を使っていた。
おつかれさまでした。
https://twitter.com/shinsuken/status/1576009655335067648?s=46&t=CvIt8ofaFrkuhOl0d1J3zQ
高校時代、空手部だった私。自分の部屋の壁には猪木さんの著作付録「闘魂」ポスターを貼って自分を鼓舞していました。猪木さんグッズはその後いろいろと買いました。プロレスも異種格闘技戦も見ました。いろいろなご経験をされた猪木さん。これからも勇気が必要になった時の1曲が「猪木ボンバイエ」であることは普遍だと思います。心からお悔やみ申し上げます。
「猪木ボンバイエ」https://www.youtube.com/watch?v=BvmqYM1xpZA
初めてテレビでその試合を観たのが1974年6月。そこから48年間。なんと言っていいかわかりませんが、アントニオ猪木に出会わなければワタシの生き方はちょっと違っていたような気がします。というか、無しは考えられない。

感謝しかないです。猪木、ありがとう。安らかに眠ってください。
心よりお悔やみを申し上げます。ほんの一時期とはいえ、同じ政党(日本を元気にする会)で活動できたことは忘れられない思い出です。やりたいことの一つに「参議院改革!」と述べられていたことは印象的でした。想いは次世代へ。ゆっくり休んでください。
猪木さんの政治団体の疑惑をつかんで特報したことがあります。感心したのは、逃げも隠れもせず、事実を認め、改善を約束したことでした。疑惑を追及された政治家は、訴訟を起こして脅しをかけたり、会社の上司の名前を出して圧力を演出したり、ひたすら逃げまくったりと醜態を見せるものですが。その点は大変に清々しく、立派でした。

90年のイラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争では、イラクに連行されたクウェート在留邦人41人の解放を実現しました。プロレスや音楽による「平和の祭典」をバグダッドで開くという驚きの戦術で、イラク要人の心を動かし、祭典の5日後に全員解放が決まりました。異論や批判もありましたが、これは政治家としてグッドジョブだったと思います。

コブラツイストと卍固めはよく練習しました。残念です。合掌。