【古原徹】ゴミがなくなると仕事がなくなる人をどうするか
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注目のコメント
「ゴミをなくそう」とはよく言われることで、「そうなったらいいよね」とは誰もが思っていると思いますが、
「ゴミがなくなると、仕事がなくなる人がいる」というのは完全に抜け落ちていた視点でした。
考えてみれば当たり前なんですが、何かをなくせば、誰かの仕事を奪うことになる。
それを「ゴミがなくなることで困る人が誰もいないシステム」に作りかえようというのだから、「ゴミゼロ」がいかに難しいかがわかります。
そういう難しさを痛いほどわかったうえで、アサヒユウアスの古原さんはどんな挑戦をしているのか、ぜひ記事本文もご覧ください。
ちなみに、記事終盤で紹介した『アップサイクルグラノーラ』は、めちゃくちゃ美味しいです。
体にいいとかそんなことは置いといて、甘くて美味しい笑
「使い終わったら食べる」という『もぐカップ』の発想もそうですが、こういう「美味しいアップサイクル」「美味しいゴミゼロ」が増えるといいなぁ。
ズボラな私でも無意識に貢献できます。「ゴミがなくなると仕事がなくなる人をどうするか」。途上国に日本のリサイクル技術を持ち込もうとすると、必ず当たる壁です。現地では本当にごみ拾いに命がかかっている人がいます。
新しいリサイクル施設でこういった人たちを雇用する方法もありますが、雇用・統率には並々ならぬ労力が必要です。関係者のみでなんとかしようとせず、現地国や地方自治体のバックアップも得つつ、対処していく必要があります。
日本でも、人口減少により廃棄物取扱量が減ったり、循環への要求の高まりや担当者の知識向上によってこれまで廃棄物扱いだったものがリサイクルを前提として有価物として取引されるケースもが増えてきました。
廃棄物処理会社にとっては、処理費が得られないために利幅が狭くなり、厳しい状況となります。
リサイクルの高度化や再生資源の情報整備などで出口側の値打ちを上昇させ、ステークホルダー間でスパイラルアップ的に価値を上げていき「ごみが減っても儲かる」構造を目指す必要があります。大量消費社会はそれ自体が大量消費社会的価値観を再生産することによって人間の認知に対して非常に強く、広く働きかけるミームなので、サステナブル単体では太刀打ちできなさそうだなというのが僕の直感です。もし新たな社会を構築できるとしたら、それは僕たちの知る宗教にとても近い何か新しい概念と組み合わさって生じるのではないでしょうか。生きている間にそれが観察できたらとても面白そうです。