直感と熟考は、日々の様々な決断において、両方必要だと思います。よく英語では、「I have a gut feeling about this. 」という表現のビジネス場面も多く、gut feeling=直感的にという表現をよく使います。直感で即決することは単に勘に頼るだけではなく、重ねた経験による直感でもあるので、時には即決することも大事。
同時に、「あの時熟考しておけば、、、」という失敗もあるあるです。特にどちらが良いかと迷う時や、Aという決断は皆が望まなくてもしなければいけない時は、自分だけの熟考ではなく、周りの意見を聞き、周りを巻き込むことで熟考することも大事。周りの意見で気づいていなかった点の発見もあり、周りを巻き込むことでbuy in (賛同)も得ることが出来ます。
同時に、「あの時熟考しておけば、、、」という失敗もあるあるです。特にどちらが良いかと迷う時や、Aという決断は皆が望まなくてもしなければいけない時は、自分だけの熟考ではなく、周りの意見を聞き、周りを巻き込むことで熟考することも大事。周りの意見で気づいていなかった点の発見もあり、周りを巻き込むことでbuy in (賛同)も得ることが出来ます。
さらに、「思考力育成型」は、米系企業ではクリティカルシンキングのトレーニンを社員レベルに応じて提供しているので、考え方を学ぶことでスキルアップもできます。
一方、ニーチェのような「思考触発系」は、上司として部下への接し方を学ぶきっかけだったり、自分の生き方に通じるスケールが大きいこともあったり、右脳が刺激されワクワクもしますね。先人たちの素晴らしい書籍が多くあるお陰で、手軽に活用でき脳に良い刺激をくれますね。バランス良く時と場合により思考タイプを切り替えることが大事ですね。
人間の思考力も同じでしょう.潜在的に各人は思考パワーを持っています.アクセルを踏み込んで出せるパワーの大きさは“IQ”や“地頭力”などと呼ばれているようです.おそらく人によってその最大値はそれほど差はないし,訓練によって自在に引き出すことできるようになる(らしい).
思考パワーは思考速度と思考深さの積です.思考パワーを状況に応じてギアチェンジする意図的な行為が必要です.「ZERO to ONE」ではないが,「ゼロ」の状態にあるものを考えるとき,速度は遅いが深い思考を重視するローギアに頭のギアを入れる(スロー思考).そして,加速して状況が動き始めたら,反応速度を重視するトップギアに切り替える(ファースト思考).そのギアチェンジはコツに近い訓練が必要なのかもしれない.MT車の運転訓練(限定解除)のような.
今や自動車はAT車が一般であるように,現在は様々なツール(PCやスマホなど)でギアチェンジがオートマチックでできるようになっています.しかもAIの出現で,自動運転車のようにアクセルを踏む必要もなくなりつつあります.
それはさておき、モノゴトを深く考える人が少なくなっています。どんどん溢れ出す情報洪水に飲み込まれている。答えを簡単に求めたがる。答えがないと、不満をぶつける。
そこにたまたま自分の都合にあった答えがあると、それで知った気になって拡散する。一度立ち止まってじっくり考えることが必要ですね。
ただ、世の中的には考えを深めない=自分の頭で咀嚼しないまま、inputしたものをそのままはoutputする早くて浅い思考がまん延していて、そういう人が深めるにはまずは時間をかけてじっくり考えてみることが必要、という意味ではそうなんでしょうね
記事にあるような因果を考えられる、すなわち目に見える事象だけでなくその背景にある要因を構造化できるというのは一つの「深さ」ですし、逆にその事象が持つ「意味あい」を抽出できる(so what?を考えられる)というのも違う意味での「深さ」で、まずは時間を確保してそういう頭の使い方をして、普段使わない筋力を鍛えないとできるようにならない人が多いですね
遅く考えるということはつまりじっくり思考すること。とどのつまりは「自分で考える」こと。
思いついたことを一度疑ってみる。そして「人類の知恵」を借りて思考する。とても有効。 そして「考え方のインプット」としての哲学の可能性。もっと学びたい。
意識的にゼロベースで思考する癖や新たな思考を取り入れる努力を続けると、より深い意味ある意思決定に繋がる。
「遅く、深く考えて賢くなる」ことがなぜ豊かな生き方なのか、を多くの人に納得感をもって受け止めてもらうのは容易ならざることと感じます。
この即断即決はどうしても直感に頼らざるを得ませんが、直感の質は過去の経験や思考量から導かれているはずです。
余裕がある時には、当然と思っていることを当然視せずに、前提から疑って深く思考することが必要だと認識をしています。
直感は、無意識的。無意識は、意識的な思考の蓄積で脳内回路ができて、それがあるときに表面化するモノだと思っている。なので、普段の熟慮の結果。
そもそも人間は無意識的な判断が9割だったり、認知限界がある。だから熟慮に必要な集中力という資源をいかにうまく使うか、そして使うことで無意識部分、直感の精度を上げられるか。そして直感の精度が上がると、稀少資源である集中力を再投資できる。
熟慮モード、意識的な部分は、哲学的(価値観・判断軸)なものや構造的なものやプロセス作りにできる限り使う。
そこに使うと、判断が必要な時の拠り所になり、ブレない。また、プロセス的なものは、それが来た時にはそのプロセスに従って、目的・判断軸に沿っているかを検証さえすればいいと「外部化」できる。それで集中力という稀少資源を節約し、やっているうちに無意識的にしながら、再現性を上げる。
ただ熟慮の部分は、本当に難しい。下記の言及がその通り。
『そのためには、最初に考えついたことを、まずは「そうじゃないんじゃないか?」という形で否定してみる。この立ち止まりは「別の可能性もあるのではないか?」と考えはじめるきっかけをくれます。
──思いついたことを一度疑ってみることの大切さは、多くの人が感覚的に理解していると思います。ただ、その先をどう考えればいいのかがわからない。結局は「あらゆる可能性がありうるよね」というところで思考が止まってしまうのですが……。』
あらゆる可能性がある、で終わるのは、毎回を個別具体的に考えないといけなく、集中力という資源を再投資できないのでもったいない。可能性は残しつつ、3つ(+その他)くらいに分けたり要件を整理して、毎回「その他」以外かをチェックして、その他の時だけはゼロベースで考えると節約できる。
あと、「別の可能性」が一番難しい。昔からの友人と話していて「2、4、6の次に来るのは何か?を考えるために、次に来る数字として何を検討する?」という質問を受けた。
多くの人は8と答えると思う。それ以外には10(前の二つの数の足し算)、12(そこまでの数の総和)という可能性もある。
その友人が言っていたのは「-1」。というのは負の数でない可能性を検討して、範囲を狭める。検討という観点では正しく、すごいと感じた。急がば回れ。