【RS】当事者不在バナー

結論ありきの「検証委員会」の限界

当事者と向き合って事故対策を考える時代だ

2014/12/23
私たちの生きている社会はいま、圧倒的に弱い立場にある当事者たちの痛みや思いを感じとり、きちんと耳を傾け、丁寧に寄り添えているのだろうか。立場ある者が、目先の営利や名誉、効率性ばかりを優先していないか。これから記そうと思っていることは、長く当事者たちに接してきたジャーナリストとしての自分自身への問いかけでもある。
前回の連載に引き続き、学校管理下にあった児童74人、教職員10人が東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の惨事はなぜ起きてしまったのか? そしてなぜ、その後の検証が適切に行われなかったのかについてリポートしていく。

問題の本質を骨抜きにされた提言

学校管理下にあった児童74人、教職員10人が東日本大震災の大津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の対応に対し、ついに児童の遺族たちの納得が得られることのなかった「大川小学校事故検証委員会」の検証報告。それが石巻市の亀山市長に提出されてから、およそ3カ月後、文科省には新たに「中央教育審議会スポーツ・青少年分科会学校安全部会」が設置された。

同部会は、震災による大川小学校の惨事の一方で、岩手県釜石市内の小中学校をはじめ,日頃の防災教育の成果を生かし、児童生徒らが率先して避難した事例も見られるなど、防災教育の重要性が改めて認識されたとして、子供が自ら安全な行動をとれるようにしようと、安全教育の具体的な方策を検討する。そして、次の学習指導要領改訂をにらんで、「防災教育」に向けた提言を出すものとみられる。

その委員の中に、なんと「大川小学校事故検証委員会」の室崎益輝委員長が選出されていた。

しかも、6月30日に開かれた第2回会議の席上で、その室崎元委員長は、なぜ大川小学校だけが多くの犠牲者を出したのかについて、「最終的な避難の決定が遅れたということに尽きる」との見解を述べたうえで、次のように報告した。

「大きな要因は20ぐらいあると思うんですが、その20の要因のすべてが同時に起こった。20のうちの一つでも外れておれば救えただろう。その20の要因は、一つ一つとても大切な要因なので、それを今後の教訓とするときには、それをすべて取り上げ、この報告書で24ほどの提言という形でまとめさせていただいております」

当日、新北上川沿いにある標高わずか1メートルほどの低地にあった大川小学校では、危機が迫っているにもかかわらず、子どもたちの命を預かっていた教職員は、50分近くにわたって校庭に待機し続けた。遺族たちが求めていたのは、「なぜ校庭に留まったのか?」という点と、「なぜ遠回りのルートを通って、川の堤防に向かったのか?」という2点を徹底的に検証してくれることにあった。

しかし、同部会における会議での室崎元委員長の報告は、「一つでも外れておれば(命を)救えた」はずという20の要因が、いつのまにか24項目の提言にすり替わってしまっていた。

24項目の提言は、前回の連載で触れたように、学校の災害対応マニュアルや立地条件、監視カメラと簡易地震計の設置など、どれも重要な指摘とはいえ、大川小学校で起こった事実を検証しなくても言える、一般的な提言ばかり。そのほとんどが昨年2月7日の第1回検証委員会で、すでに委員たちによって議論されていたものだ。

「あの日、何があったのかを知りたい」

そう願って、保守的な地域性の中で勇気を出して声を上げてきた遺族たちの思いは、どんなに要望を出しても、“結論”と違う情報を報告書に含めようともしない検証委員会によって、踏みにじられていった。

一方で、第1回検証委員会の段階から検証委員たちが議論してきた意見については、24項目の提言として盛り込まれ、しっかり中教審の学校安全部会にも報告されていく。

こうして、遺族たちの意向は汲み取られる仕組みがないまま、問題の本質を骨抜きにされた提言だけが、今後の学習指導要領改訂の際の「防災教育」を見据えた議論にも受け継がれていくのではないか。

中教審の学校安全部会で大川小の検証報告について意見を述べる元大川小事故検証委員会委員長の室崎委員

中教審の学校安全部会で大川小の検証報告について意見を述べる元大川小事故検証委員会委員長の室崎委員

遺族たちの情報も有効活用せよ

「現場に居合わせた当事者のほとんどの方が亡くなっておられるということで、現場を知っている方から詳しく事情がお聞きできないという限界があった」

同会議で、室崎元委員長はたびたび「検証委員会の限界」という言葉を使った。

しかし、現場から生還した児童の遺族は、「大事な証言をしてくれる方はいたし、当の証言者は聞き取りを待っていた」と憤る。

また、室崎元委員長は、「同じ周辺の釜谷の地域でも、7割から8割の方が亡くなられている。なぜ釜谷地域全体がという問い掛けをしないといけないと思います」などと、釜谷の地域にも責任があるかのように説明した。

しかし、これもおかしな見解で、なぜ大川小だけが管理下で子どもの犠牲者を出したのかの観点で考えると、他の学校では、校長や教職員が先導して子どもたちを裏山に避難させた結果、後を追った地域の住民たちも助かったという事例が複数報告されている。そもそも、保護者にしてみれば、学校に子どもを預けているのであり、地域に預けているのではない。

さらに、検証の経緯について、「検証委員会が設置をされたのは事故が起きてからほぼ2年後だということ」や「その2年の間に記憶もあやふやになっておりますし、教育委員会等が実施された子供たちや関係者に対する聞き取り調書等も散逸しているというか廃棄をされていて、残っていない」として、2年後という時間の経緯は、検証委員会として「非常に大きな限界だ」と訴える。

室崎元委員長は、事情はよくわからないものの、何かできない言い訳を一生懸命探しているような印象すら感じる。しかし、入手が可能な情報をどのように収集しようと努力してきたのか、そのプロセスが見えてこない。大川小の検証委員の中に、そうした調査のプロが含まれていなかったという人選上の偏りもあった。

そうであるならば、この世界に例を見ない学校管理下で犠牲者を出した事故について、なぜ検証が上手く行かなかったのか。この検証委員会そのものに対する再検証作業が必要だろう。

すでに2年も先行している遺族たちの情報収集力を有効に活用すれば、さらなる新たな事実の調査も行うことができる。

遺族たちはいま、声を上げたくても、そうした仕組みや制度がないため、ノウハウがわからないために動けずにいる。遺族たちがずっと望んでいたように、対話によって事実を解明し、お互いが納得できるような解決を模索するための仕組みは、どうすれば構築できるのか。

専門家だけに委ねるのでもなく、形だけ当事者を入れました、声を聞きましたという仕組みでもない。答えのない山積みの問題に直面しているいま、当事者と一緒に向き合って、みんなで考えていく、そんな時代が来たのではないかと思う。

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※本連載は毎週火曜日に掲載します。