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厚生労働省社会・援護局で、戦没者と遺族の援護事業に携わっておりました。当時も外地に参りましたが、戦没者のご遺骨の収集事業は、今も続けられています。

310万人の戦没者の方々の尊い命と苦難の歴史の上に、今の私たちの平和と繁栄があることを、戦争を経験していない世代もきちんと知り、戦争の惨禍を二度と繰り返さないと願い続けていくことが、平和を堅持するためには、本当に大切だと思います。

戦没者追悼式のお言葉や式辞について話題になりますが、事務方として携わっていた経験からひとつ申し上げると、「変えないこと」(変えたのは何故か、そこにどんな意図があるのか、と却って問題になってしまう)+「ほんの少しだけその年の独自性を出すこと」が原則でした。

お言葉に込められた深く強いお気持ちが、広く伝わっていく日だと思います。
玉音放送を聴いたのは小学校五年生の夏休みだった。五年生ななると本格的社会科が始まって、先生達は「この戦争は、世界の侵略国である米英を打ち破って植民地を独立させる為の正義の戦争だ」と教えられた。ところが二学期になって米軍が進駐してくると、先生達は「あの戦争は絶対やってはならない間違った戦争だ」と、言う事が180度変わった。それで僕は先生達の言う事やマスメディアは信用ならならい、と思うようになった。
私は祖父母や、特に軍国少年だった父親から当時の話をよく聞きました。

政府、軍部によるろくでもない判断、それを助長した新聞社等の責任で、死ななくてもよかった多くの人が亡くなったことを反省することを「自虐史観」と呼ぶ人には心から同意しかねます。

でも、直接的な肉親から戦争の話を聞けたのも私たちの世代が最後です。「国を守る」ことが大事なことは当然ですが、少なくとも先の大戦は「国が国民や他国の方々を無駄に死なせた」ということは忘れてはいけないと思う。
随分昔のことのようですが、77年しか経っていないことに、改めて平和を続けていくことの尊さと大切さを切に思います。戦争を経験している親世代から多くの話を直接聞くことが出来たことは、次世代へ平和な世界を繋げていくことへの大切さを強く感じます。父は、徴兵である20歳になる直前で、終戦となり、いかに感謝したか、命の尊さ、そして戦争は再びあってはならないことを幾度も言っていました。

普通な日々を送ることが、実はいかに貴重なことかを考えさせられます。この美しい地球に生命をいただいたことに、「より公正で美しい世界にする」使命が、私たち一人ひとりにありますね。
コロナ前は毎年8/15に靖国神社にお参りに行きました。コロナ後は戦没者追悼式を毎年ライブで見ながら正午に黙祷しています。

黙祷しながら、先の大戦について自分なりに振り返り、これからの世界の平和と我が国の発展を祈っています。
終戦から77年ですか…。

戦後の焼け野原、食糧難でヤミ米を一切口にせずに亡くなった裁判官がいました。

その後、日本は高度経済成長とオイルショックを経てバブルに到達。山の頂だったのかもしれません。

バブルが崩壊して一気に山の頂から下山することになり、転落死を遂げた人もたくさんいます。

まだまだ下り坂は続くのでしょうか?
高度経済成長時代につくられた制度が残っている以上、再び上り坂に差し掛かるのは難しいかも…(汗)
戦争への反省や過去の自国の判断を顧みるのは本当によく聞く言説だ。勿論戦争に自ら突き進むことはあってはならないことだと思う。戦争はとにかく金がかかるし、人を産み育てるのにも金が掛かるが国民を死地に向かわせるのだから、これもまた国の富を全てbetしてやる一大事業であり、資源の限られた島国の日本にはどうしても限界が生じる。
一方で、周辺諸国の状況がどうだったか?どうして戦争という最も経済合理性が低い手段を取らざるを得なかったか?という地政学的経緯や歴史的経緯はあまりこうした時に語られない。

「仕方が無かった」と言うつもりは無いが、戦争に至る流れというのは戦前の帝国主義や植民地主義の世界的な状況を考える必要がどうしてもあったとは思われる。

つまり、帝国主義、植民地主義国である列強と鎬を削り続ける必要があり、それが出来なければ、どうなっていたか?と言う話でもある。いや、結局は途中からは無謀な判断を重ね、多くの兵士だけでなく国民が死に、街は焼かれ、原爆を落とされ、戦争には負け、占領されるに至ったわけだが、悲惨な戦争はそうした世界大戦をこれ以上積み重ねれば人類が核戦争により破滅することもまた日本が示したとも言える。(それは本当に最悪の手段と結果だったと思うけども。)

重要なことは、過去から学び、戦争をしなくてはならなくなる社会的、経済的、地政学的状況に陥らないよう、国民が参政権を通じて政治に参加し、選択をし続けることである。
全国戦没者追悼式の報道は、あたりまえの岸田首相の発言など、型通りの形式的な報じ方だった。
 個々の発言などもう少し個性的な報じ方があってよい。
 例えば細田衆院議長の追悼の辞は月並みであったが、それに較べ尾辻参議院議長の追悼の辞は、ご自分の両親、31歳で亡くなった父、その後、苦労を背負い41歳で亡くなった母に触れ、本人だからこそ語れる気持ちのこもっているものであった。