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誰も指摘しない教育のタブー「子供の格差」を引き起こす親の経済力以外の"ある要素"

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  • 株式会社Digika (そろタッチ) 代表取締役社長

    生活リズム、私たちもとても大切にしています。
    例えば、そろタッチの「はやおきランキング」では午前6時から8時の間にプレーした人がランクインします。
    昨日8月3日は夏休み中にもかかわらず1,177人のこどもたちがはやおきランキングにランクインしてます!

    過去の早起き学習の習慣化サポートについての記事はこちら↓
    https://newspicks.com/news/4945220


注目のコメント

  • 定時制高校 教諭

    >「勉強する」という営みは、自分たちの認知的枠組みのなかには含まれておらず、自分たちの生活や認知の「外側」にある逸脱的な行為として位置づけられている

    激しく首を縦に振りました。

    これは、あくまで仮の設定ですよ。

    ある夜間定時制に通う高校生Aさんがいました。3人兄弟です。幼少期に両親は離婚し、シングルマザーとなった母親がパートをかけ持ちしながら3人兄弟を育てました。

    保育のための手が足りず、小学校時代は、Aくんが母親のかわりに兄弟の面倒をみる必要があり学校を休みがちとなりました。

    Aさんが中学生の時、母親は再婚します。その義理の父には連れ子が2人いました。いきなり5人兄弟になります。義父はリストラにあってしまい、昼から家で呑む生活。母親は仕方なくさらにパートを増やし、家計を支えます。このあたりで生活保護を受給することになりました。

    母親の強い願いからAさんは高校に進学しましたが、日中はアルバイトをするために定時制にしたのです。Aさんは週に4日ほど朝の9:00〜15:00でバイトをし、18:00〜21:00で学校に通います。

    さて、この家庭では1日24時間の中で公教育を除き「勉強をする」という概念が生まれてくるのでしょうか。

    これはもはや文化を超えて、生きるためにその日をどう暮らしていくか?つまり、次の給料日までのお金をどう手に入れるかという思考にリソースが全振りされるのです。

    私はそのような境遇にはなかったです。しかし、このような実態を実際に目の当たりにすると(上記の例は実例ではありません)学力格差なんてどうでもよく思えます。

    ただただ、幸せを感じられる時間が少しでも増えるにはどうすればいいのだろうか?と考えるようになりました。軽々しく「やればできる」なんて言えないし、人の生活や仕事への批判なんて口を裂けても言いません。懸命に生きているんです。

    感情的な文章になってしまいましたが、こんな世界もあるのか程度に受け取ってもらえたらなと思います。


  • 教育に限らずですが、『格差』を問題にしない方が良いと感じています。本当の問題は格差に伴う『生きづらさ』の部分だからです。教育自体の重要性は感じますが、格差を問題視しない方が良い。

    そうではなくて、いまの社会に必要なのは、多様な評価軸を設けることと、子どもが生きづらさを感じた時に早期発見と解決できる仕組みなのではないでしょうか。

    勉強が好きな子は勉強に励めば良い。
    運動が得意な子は運動に励めば良い。
    好きなことや特技がある子はその能力を伸ばすことに励めば良い。

    子どもが各々興味あることに没頭するにあたり支障となるものがあればそれが問題であり、周囲や社会の大人は、子どもの生きづらさを解消するために知恵や労力や財力を使う方が、子供にとっては生きやすい社会になると感じています。
    もとい、そもそも、教育=学力向上の勉強ではないから。
    教え育むことは全て教育なんだよなぁ。


    余談です。
    私は知力というものは下駄のようなものだと考えています。
    学べば学ぶほど下駄分の身長は高くなるため遠くを見通せる力はつくけれど、所詮下駄だから足元は不安定なわけで、ついつい足元が気になり遠くをじっくり観察できない。
    その知力に技術(経験)がプラスされた時に下駄が自分の足となり、支持基底面が安定した状態を確保できるため、安定した状態で遠くをじっくり見通せる。この繰り返しが成長だと思うんですよね。
    なぁんて書くと知力は重要に見えるけど、背の高い人は足元が見えにくいわけで。

    何が言いたいかというと、色々な身長の人がいるから社会の事象を多角的に捉えられるのであり、そこでの交流を通して多様性は育まれるものだから、教育格差を問題にすることは、子どもの画一化を促す言動にしか感じられず、マイペースなワタクシとしては、何とも気持ち悪さを感じてしまうのであります。
    格差の解消を求めて解決策を講じると、自己責任論が強まったり足の引っ張り合いが強まると思うけどなぁ。


  • 小学校教諭

    「貧しさはカネがないことと同じかそれ以上に、貧困層に共有される慣習や文化こそが原因だ」

    これ、本当に実感します。まず、勉強を重要視していない保護者もいます。参考書や問題集を買うという発想もなければ、YouTubeで勉強するとか以前に、勉強をしなければならないという文化がそもそもない家庭すら存在します。

    そんな家庭にいる子どもは、世代を越えた低学歴低収入のスパイラルの中にいます。学校でどれだけ勉強を教えても、家に帰れば砂山のように崩れ去っていくような感覚です。

    それでも学ぶことの楽しさに気づく瞬間の子どもの目は輝いています。記事で触れられていた貧しさを招いている「習慣や文化」を少しでも緩和する、薄めることが重要だと感じています。そして、それができる可能性があるのが、塾でも私学でもなく、誰でも学費なく入れる公立学校だと思っています。

    言いにくいことに切り込んでくれている素晴らしい心意気の記事をありがとうございます。


    ※上位層だって頑張っているとおっしゃっている方もみえますが、残念ながらそういう次元の話ではありません…。私も公立小学校の担任になるまで出会うことがなかったのですが、貧困層に該当するようなご家庭や子どもたちは、世界が全く違います。郵便ポストも玄関の鍵もありません、家庭訪問は家の中を恥ずかしくて見られたくないからと玄関の外だったりもします。家は朽ち果てそうな木造建やアパートで、ほぼ人が住んでいる気配がないほどに庭は草だらけの荒れ地だったりすることもあります。父親は今投獄中だったり、お母さんは鬱病のシングルマザーっていう子たちにも出会いました(地方の田舎の1学年1-2クラス程度の一般的な小学校です)。その家から登校してくる子どもに私は上位層も頑張ってるなんてとても言えません。前提条件が違いすぎます。


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