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ポスト・ヒューマンのゆくえ

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  • NewsPicks Studios WEEKLY OCHIAI プロデューサー

    当たり前のことですが、スマホを片手に歩いているこの人は“人間”、首をもたげながら歩くこの野良猫は“人間でない”、偶然蹴飛ばしたのは石ころだ。私たちは人間とそうでないものを間違えないし、自分が人間だと明確に認識しているはずなのに『人間とは何か』を言葉で説明しようとすると、どうでしょう?不思議なことに言葉に詰まりますよね。哲学や歴史好きの人なら、我々は知恵のある人ホモ・サピエンスだ、作る人のホモ・ファーベルだ!と言えるかもしれませんが、それでも私たちは『人間』を過去に発信された定義や概念でしかほとんど表せないのです。しかも主体として人間を捉える様になったのは近代以降で、時代とともに人間観というものは変わり(変えさせられ)ます。では、未来はどうか?メタバースをはじめとするweb3.0という概念が広まり、バイオテクノロジーの発達で何が変わるのか?それとも変わらないのか?そんなことを知れたらと思います。
    【配信後記】
    落合さんの感想は『吾唯知足』だそうです。皆様にとってもそうであったら嬉しいです。対談で、フーコーの話題がでましたが、近代社会をこんな感じで批判した人物です。“近代社会は学校・軍隊・工場・裁判所などをつくり、人びとを監視して規律を教え込むことで、考え方を型にはめ、権力に自発的に服従するタイプにつくり変えてきた”。近代(日本でいうと明治時代)は、国や国民という概念すら誕生した時代でもあり、現代社会の基盤となるものの多くが作られました。インフラやルールがあるから安全に暮らせるし、教育制度により皆が等しく学問に触れ、法律があるから秩序が保たれています。ただ人が作ったものすべてが『絶対的に正しい』わけがなく、例えば信号機は事故を防ぐために必要なもので、赤青黄のルールを守ることは常識だし正しいことです。しかし、もし信号機が車も人も通らない森の中に作られていた場合、無条件に常識として『守る』ことより「けしからん」と思う方が正しいですよね?私たちは社会が形成された時代に生まれ、ここからは逃れられません。ルールを守ることは大切ですが、所詮は人間が作ったもので『絶対的に正しい』なんてことはないのです。常識は空想です。大切なのは、自分の考えを持つ事と岡本先生がボードに書いた言葉だと思います。『桐島部活やめるってよ』という映画でよく描かれています。スクールカーストの話ではないですよ。


  • Strategia Holdings and SOLA Biosciences Founder/CEO, Scientist - New Therapy R&D & Fine Artist

    人間とは何か?Mark Twain の“What Is Man?" を想い出しました。配信が少し遅れているようなので、ちょっと考えてみます。現代の生物学的定義はさておき、未来的なサイエンス的にいうと、量子的な理解が進むと「人間」という概念(認識)消えてしまう気がします。精神性の視点からは、東洋的ですが、天に授かった「命に目覚め」その命を感じて「自分の命を生きる」ことができるのが人間のような気がします。2022年の人間の知は、人間をどう見るのか。楽しみです。

    (追記)
    なかなか考えることが盛り沢山の回でした。落合氏の考えや感性も理解した上での、岡本裕一朗氏の言葉には、とても深いものを感じました。番組内で「人間以外で、死ぬことを意識して生きている生命はいると思いますか。機械はそれ(天命)を意識できるようになると思いますか。」という質問を取り上げていただいたのですが「この前GoogleのAIにそんなことを聞いている人がいましたね」というコメントで、お二人の意見を伺えなかったのは残念でした。動物と人間、人間と機械を考える上で、「命を意識する」というファクターは大事だなと素直に感じての質問だったのですが、答えは無いので、自分でもっと考えてみます。「考える」暇があったら、楽しいことをする(楽しむ)方が良いのですが、「考える」のも楽しいことですから困ったものです。


  • バッテリー スペシャリスト

    ホモ・ファーベル(工作人)が最初の方でちらと出てましたね。当人のベルクソンもそうですが、レヴィ=ストロースも日本の民芸大好きですよね。

    デカルトを引き合いに出して、主体がイデアという対象からアイデアという我になった転回の話もされてましたが、暇だったんでしょうね。当時世界一の先進国オランダでは。スピノザもレンズ磨いたりはしてましたが、まともな下宿人として生活出来ましたし。

    そこで活字に向かうのか、自然に向かうのかが聖書のある西洋と母国なのに論語も普及させない東洋の違いかなと思ったり。

    そこでホモ・ファーベルという切り口、好奇心と創造性を発揮するものとしての人間の逞しさが注目される。これもうタモリ倶楽部に出演する素人マニアと表現するのが分かりやすいはず。

    番組の中で価値あることしか科学は明らかにしないとも冒頭で触れてましたが、社会や経済という下部構造の存在する科学はそうでも、科学がまだ個人の妄想だった幸せな頃は、幾ら稼げるかよりも幾ら人を感心させられるかだったし、マッドサイエンティストのマッドさというのは至って自分の興味や関心に忠実に従うところで、ニコラ・テスラが分かりやすい。エジソンでは決して無い。

    ということで、死んだように生きていれば存在しないも一緒なので、近代的個人の帰結としては徹底的に自分の興味や関心に徹しきるホモ・キュリオシテがポストヒューマンなのかと妄想出来た面白い回でした。


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