2022/7/25

原発のまちを「循環経済都市」に変革。“知の実装”の先駆者が挑む

NewsPicks Re:gion 編集長
 田村大は1990年代から「知の社会実装」の先端を走ってきた人物だ。
 博報堂でデジタルサービスの黎明期を牽引し、2000年代はIDEOと共にデザイン思考の普及に尽力。そして2010年代には東京大学i.schoolを創設し、イノベーション教育の最前線を開拓した。
 イノベーションとは「人間の行動・習慣・価値観に不可逆の変化をもたらすアイデアの普及」であると定義し、ビジネスとアカデミックを往復してきた経験を持つ。
 そのキャリアを通じて追求してきたテーマは、『持続的にイノベーションが起こる生態系(エコシステム)』の実装だ。
 現在、田村は九州に拠点を移している。「持続的なイノベーション」を実装する場所として地域を選択した経緯、そして新たな挑戦を追った。
INDEX
  • 広大な空き地に「経済の生態系」をつくる
  • 東大・坂村研で突き当たった「データの壁」
  • デザイン思考と「東大i.school」の立ち上げ
  • 地域に「主体性」と「協働」をインストール
  • 人の営みから「手触りのあるイノベーション」を生む
  • 原発の町で「20世紀のレガシーを乗り越える」
  • 街の“違和感”をすくいとり、循環の輪の中へ
  • Satsuma Future Commonsが創るもの

広大な空き地に「経済の生態系」をつくる

 鹿児島空港から車で1時間ほどの距離にある、薩摩川内市。東シナ海を間近に望む川内原発に近接するエリアに、東京ドーム7個分ほどの広大な空き地がある。
 何もないのどかな土地だ。鳥の鳴き声が響き、周囲を囲む木々が海風で揺れる。そんななか、大量のブルドーザーやトラックが出入りして区画を整理している。
 ここから近い将来、新しい「循環型都市経済システム」が生まれるかもしれない、と言ったら誰が信じられるだろうか。
 現在、この土地で進められているプロジェクトは「Satsuma Future Commons」と呼ばれている。
 鹿児島県・薩摩川内市が目指す次世代まちづくりの拠点として、サーキュラー(循環型)都市づくりを目指す。
 このプロジェクトを牽引するのが、田村大が率いるRE:PUBLIC(リ・パブリック)だ。
 公共政策、都市計画、産官学連携などの研究者や専門家が国内外から集う同社は東京・福岡にオフィスをもつが、今年5月に薩摩川内市内に新たな拠点「RE:STORE(レストア)」を自己資金で開設。薩摩川内における公民連携のイノベーションを生み出す場として独自の運営をスタートしている。
「持続的にイノベーションが起きる生態系」を追い求めてきた田村は、薩摩川内で何を実現しようとしているのか。
 それを理解するために、田村のこれまでのキャリアを振り返る。

東大・坂村研で突き当たった「データの壁」

「昔から、人の認知の仕組みや意識の変容について興味があったんです」
 田村大を貫くテーマは10代から変わらない。人の営みであり、人が織りなす生態系(エコシステム)だ。
 大学では認知心理学を選んだ。卒業後は博報堂に入社し、インターネットが普及するようになると、知見を活かして数々のウェブサービスをプロデュースするようになる。世はITバブル。その仕事は脚光を浴びた。
 だが、田村は虚しさを覚えた。
「最初は浮かれたところもあったんですが、ある時から『俺、こんな感じでいいんだっけ?』と違和感を持ち始めました。何も本質的なことはやってないな、と」
 再び母校に戻った田村は、TRONプロジェクト(日本発のリアルタイムOS仕様の策定を中心としたコンピューター・アーキテクチャ構築プロジェクト。1984年6月開始)を牽引した坂村健氏の研究室の門を叩く。
 テーマは、「データサイエンスを用いて、人の行動を予測する」。データの束と格闘する毎日を過ごすなかで、重要な気付きがあった。
「もともとは、人のすべての行動をデータで扱えるようにしたいと思っていたんです。位置情報や空間構成などとの相互作用を把握することで、次の行動も予測できるようなシステムですね。
 でも、人間の行動は変数が多すぎる。だから結局発散するし、カオスになる。機械的に採取されたデータだけでは行動はわからないという結論に突き当たりました」
 データによる限界に直面した田村は、それを補完するべく“エスノグラフィ”の実践を志向するようになる。
「エスノグラフィはもともと文化人類学の学術調査の手法で、異文化コミュニティーの中に実際に入り込み、行動観察を行うものです。
 そこで蓄積した情報から仮説を立てて、人の営みの本質を追求していくんですね。私の場合は、それこそスーパーマーケットで、お客さんの買い回りに同行し行動を逐一記録したり、その商品を選んだ理由を聞いて答えをため込むような、泥臭いリサーチを重ねていました」
 現場で得た情報を仮説へと昇華させ、それをデータと突き合わせることで精度を高めていく。そのような研究手法を進めているうちに出会ったのが、世界的なデザインコンサルティングファームのIDEOだ。

デザイン思考と「東大i.school」の立ち上げ

 IDEOは、2000年代以降のビジネスシーンに広まった「デザイン思考」の旗手として知られる。
 デザイナーの思考をビジネスに転用し、論理よりも発想、熟考より試作と検証を重んじるこの思想は、その手法として人の潜在的欲求を探るエスノグラフィの考え方を積極的に導入していた。
 ゆえに、田村とIDEOの邂逅は必然だった。2000年代後半にいくつかの共同プロジェクトを立ち上げ、田村はそこで多くの学びを得た。
IDEOとの共同プロジェクトは日本にデザイン思考を知らしめる端緒となった。
「社会が、どうやって動的平衡を成立させているのか。さらに、それを可能にするシステムをどう実装するか。
 もともとのシステム思考に、実践的なデザイン思考をかけ合わせて変化の仕組みを追求していきました。
 国や行政のビジョン策定などに関わるようになったのもこの頃からです」
 一方で、田村は変化の担い手=イノベーターの育成にも力を入れた。2009年、東京大学で始まった実践教育プログラム「i.school」がその舞台だ。
「イノベーションを生み出す人材を育成する」というミッションを掲げるi.schoolは、田村に加えてもう一人、東大工学部教授でありイノベーション研究の第一人者である堀井秀之氏を共同設立者として立ち上がった。
 このプログラムでは、イノベーションのプロセスを重視し、そのマインドセットをワークショップを通して学生に徹底的に体得させた。
主に大学院生を対象として社会課題解決のアイデア創出を学ぶ「東京大学i.school」。2017年より東大から独立している。
 結果的に、i.schoolからは起業家や社会起業家だけでなく、小説家やアーティスト、政治家など、多様な人材が輩出されている。

地域に「主体性」と「協働」をインストール

 データサイエンス、システム思考、デザイン思考というスキルと、社会実装や人材育成というアクション。「変化を生む社会」の創出へ突き進む田村の軌道が修正されたのは、2011年3月11日以後のことだ。
「3.11の震災後、学生たちと気仙沼市に復興のボランティアに行きました。だけど、そこでできることが何一つなかったんです。何かできると思っていたんだけど……」
 できなかったのは、そもそもの“前提”が間違っていたからだ、と田村は言う。
震災直後の気仙沼にて
「被災地の人たちは『未来に向かって変化していくこと』を望んでいると思っていました。そのために、新しいコミュニティの場作りなどいろいろと提案したんですが、地元の方々は『いや、別にそんなことやりたくないし、元に戻したいだけ』という反応でした」
 研究者や学生たちと当たり前のように共有していた感覚が、市井のリアルを前にしては通じなかった。しかし、それを新たなモチベーションに転換した。
「これはいいテーマをもらったなと。つまり、地域での切実な課題は『未来に希望を持ちえない状況や社会を、どう変えられるか』だったんです。
 それを解決するには、『誰かが変えてくれる』という受動的な姿勢から一歩踏み出した、主体的な『市民たちとの協働』こそがカギになると気づいたのです」
RE:STOREのスタッフを務めるメンバーは国内外から集った公共領域の研究者たち。
 地域の変化は、ひとりのイノベーターのインパクトよりも、そこに住み続ける住民の参画があってこそ持続的になる。
 大きな気づきを経て、田村は2013年にRE:PUBLICを設立する。

人の営みから「手触りのあるイノベーション」を生む

 RE:PUBLICは、「持続的にイノベーションが起こる生態系」を研究し、実装することを目的とした“シンク・アンド・ドゥタンク”を標榜する。
 “シンク”にとどまらず、“ドゥ”を掲げているからこそ、彼らの取り組みは一様に長期的で、腰を据えて行われる。「街の未来をどうにかしたい」と考えている自治体からの本気の依頼が、ひっきりなしにやってくる。
 たとえば佐賀県では、地場のものづくりや伝統文化を現代の暮らしに取り入れる仕組みを構築すべく、つくり手とつかい手の対話から始め、ライフスタイルごとの研究会を設立し、「佐賀の暮らし方」をテーマにした大規模な展示会に結びつけた。そこから数年かけて、さまざまなプロジェクトや新規事業が派生していった。
佐賀で実施された暮らし方の展示イベント。多くの市民参加によって実現した。(photo by Koichiro Fujimoto)
 ほかにも、市民自らが課題を探索し創造的な切り口で機会を発見し、新たなプロジェクトを生み出す「イノベーションスタジオ福岡」や、福井市での “地域をこえた人の流れと仕事をつくる”ことをテーマとした「ふくい魅える化プロジェクト」など、そのすべてで市民やパートナー企業との協働が図られている。
 イノベ―ションというと革新的な技術やサービスを思い浮かべがちだが、RE:PUBLICは暮らしの手触りを感じる部分から課題を抽出し、当事者である市民を巻き込むことで“持続的なイノベーション”を実装することを試みる。
「ふくい魅える化プロジェクト」におけるイノベーションワークショップ。(photo by Kyoko Kataoka)
「人間がより幸福な暮らしをするために、どんな変化が必要で、そのために仕組みの部分から何ができるのか、ということ。もちろん、地域によって課題と取る手法は変わりますが」
 そして今、RE:PUBLIC×薩摩川内市が取り組んでいるのが、冒頭に記した「サーキュラー(循環)経済都市」の創出だ。

原発の町で「20世紀のレガシーを乗り越える」

 薩摩川内は、もともと江戸時代に水上交通の要衝として栄えた。戦後、京セラをはじめ各メーカーの工場も操業する商工業都市に発展し、80年代までは大いににぎわう街だった。
 だが、90年代に大型商業施設が郊外に出店すると、中心市街地は衰退していく。ロードサイドにチェーン店が並ぶ、“どこにでもある地方都市”と化した。
川内駅からの展望。鹿児島中央駅から九州新幹線で12分の距離に位置する。
「薩摩川内は、ある意味で“20世紀の社会発展”を象徴する街なんです」
 田村の言葉を端的に象徴するのが、河口付近にそびえる川内火力発電所と、川内原子力発電所だ。
 前者は、1974年に1号機が、85年に2号機が稼働を開始。原子力発電所は84年と85年に2機が稼働。いわゆる“原発の街”として国の交付金を得て、街では原発作業員やステークホルダーが経済を潤してきた。
 だが、火力発電所は2022年4月に廃止。原発も東日本大震災後に運転を停止した。その後、再稼働したものの、2025年までには国の規定により運転期限を迎えることが予定されている。
 現在、最大20年間の運転延長を申請するために必要な、設備の劣化状態を調べる「特別点検」が行われているが、実際に申請するかは決定していない状況だ。
 エネルギー産業と製造業を中心に成立してきた街を、どうやって次のフェーズに持っていくか。それが、田村たちRE:PUBLICに与えられた重い課題だった。
川内原子力発電所。1号機は2024年7月に、2号機は2025年11月に、福島原発事故後に定められた「原則40年間の運転期間の制限」に達する。
「“20年後に街の中核産業が失くなる”ことが予見できる地方自治体だからこそ、新しい挑戦をするしかないという共通認識があります。
 実際、薩摩川内の自治体、住民の方々、多くの人が“このままでは地域が続かない”という意識を共有できている。
 だからこそ、新しい持続モデルを打ち出す必要があったし、それを受け入れる土壌があった。これこそ、現代の地域における“挑戦の余白”だと感じます」
 自治体のトップダウンではない。新たな町の方向性を描くために、市民を巻き込み議論を重ねた。薩摩川内に何があって、何がないのか。何が課題で、何が資源なのか。その先にどんな未来を描きたいのか。
 そうして編み出された解が、サーキュラーエコノミー(循環経済)だった。
「20世紀型の経済モデルは、生産から消費、廃棄と進む線形型でした。
 それに対して、循環経済のモデルは、生産から消費の過程で発生する廃棄物を減らし、出てしまう廃棄物も再利用することで新たな価値や産業を見いだしていくもの。
 この課題を乗り越えることは、20世紀のレガシーを乗り越えていくのと同義です。
 生産〜消費〜廃棄まで、産業のプロセス全体を見直すサーキュラーエコノミーが、価値観やライフスタイルも含めたラディカルな変化を生み出せると考えています」
薩摩川内市内には全国展開する環境ビジネスベンチャー「ecommit」も本社を構える。

街の“違和感”をすくいとり、循環の輪の中へ

 一般に、サーキュラーエコノミーを提唱する人々の根底には環境意識が強くある。
 オランダや北欧といったこの分野の先進国でも、消費のあり方とサステナビリティ・SDGsとがセットで考えられていることが多く、日本でもそのスキームをそのまま導入するケースもある。
 だが、田村の視点は少し違う。
「環境ありきになると、"我慢”がベースになってしまう。そうではなく、循環経済によって地域の暮らしがより豊かになったと思えることが大切です」
 そのために必要なのは、「地域資源の発見と創造だ」と田村は強調する。
 サーキュラーエコノミーの文脈では、「アップサイクル」というキーワードがよく出てくる。
RE:STOREの会員カード。薩摩川内市の離島・甑島の海洋廃棄物を使って製作した。
 たとえば大量の廃棄が問題になっているアパレル業界では古着が注目されるが、それは「服が大量に余っている地域(たとえば東京)」で実行するからこそ意味を持つ。
 だが、同じことを過疎地域で行ったところで、循環にはなんら貢献しない。それどころか余計な負荷をかけてしまう。
 大切なのは、各地域にある経済循環からコンテンツを考えることだ。ここで再び、デザイン思考で培った徹底したリサーチ──つまり、エスノグラフィーが物を言う。
「リサーチでは、対象の特殊性を浮かび上がらせることが重要です。何があって、何がないのか。誰がいて、誰がいないのか。
 その視点で薩摩川内を見ると、たとえば“竹”という特殊性がありました。鹿児島県は竹林の面積が日本で一番大きく、管理しきれないために放置されていることが問題化しています。
 薩摩川内にも竹が有り余っている。ならば竹を利活用して、この町の“循環の輪”のなかに組み込むことで、厄介者をポジティブな存在に変えられるのではないか」
 リ・パブリックの薩摩川内におけるオフィスでもあり、サーキュラーエコノミーと市民をつなぐ拠点「RE:STORE」では、竹が空間内にそびえている。
 この土地では長らく米の収穫後に稲わらを活用したしめ縄づくりが行われていたが、この伝統技術を転用し、椅子のクッションをわらで編み込んだ。長く放置され、あるいは問題となり、あるいは失われようとする土地の資源だったが、再発見とクリエイティビティにより、また新たな価値を得た。
 たしかに、これは一つの場でのアクションに過ぎない。だが、それが32ヘクタールもの大きな舞台で行われるとしたらどうか。
 地域資源を強力にエンパワーし、市民を巻き込むことで、循環の輪は力強く廻る可能性を秘めている。

Satsuma Future Commonsが創るもの

 薩摩川内市で行われる、壮大なサーキュラーエコノミーの実装プロジェクト。その拠点が、Satsuma Future Commonsだ。
 薩摩川内市、九州大学、そしてリ・パブリックが共同で「未来の衣食住+デジタル技術 +基礎インフラ」の技術研究を行い、市民発・サーキュラーイノベーションを生み出すラボ機能を構える。
 冒頭に記した約32ヘクタールの土地では、市内外の企業や研究所、市民が混在しながら、循環経済をキーワードにした取り組みが行われる予定だ。
舞台となる川内港久見崎みらいゾーンは、川内原発の工事で発生した土砂を利用して整地される。
 そこから生まれる新しいプロダクトやサービスは、この土地だけでなく薩摩川内市、ひいては鹿児島県にも波及し、経済的な恩恵をもたらすことが自治体からは期待されている。
 ラボは5つの先端研究テーマを設定しており、市民発のイノベーションラボとの連携で各産業の課題を見直すところからプロジェクトを立ち上げ、大学・スタートアップ・地場企業との連携で研究開発を進めていく。
 具体的には、「食」「衣服」「住まい」「循環経済のためのデジタル技術」「循環経済のための基礎インフラ」が研究テーマとして掲げられており、すでに地域内外のスタートアップ、学術機関との連携による実証実験がスタートしているという。
 また、地場の有力企業とともに地域ファンドをつくり、投資と還元の仕組みづくりも構想されている。
循環経済に関わる先端スタートアップや研究機関をエリア内に集積させ、市民との連携によって薩摩川内市内に「実装」する計画だ。
 ただし、田村はプロジェクトの成果を測る指標を、経済価値だけで見ようとは思っていない。
「金融資本以外にも、資本には良好な人間関係が生む社会関係資本だったり、美しい街の景観だったり、さまざまなかたちがありうると思っています。
 そんな“暮らしの豊かさ”をひとつの基準にすると、サーキュラーエコノミーの可能性は計り知れないですよ」
 価値基準をずらす。その先に、消費都市・東京の対立軸としての地域ではない、オルタナティブな街の未来が見えてくる。
 しかしそれは、言葉で言い表すとどんな価値になるのだろう。田村に聞くと、
「この街で暮らしてよかったっていう感覚──土地の豊かさを実感する都市という感覚を、地域の方々が共有できること。それこそが、持続的なイノベーションを生み出し、街に実装する原動力になるんです」
 原発の街から、循環の街へ。レガシーを乗り越えた新たな経済モデルに向け、薩摩川内は変わり始めている。