【ピッカー考察】安倍元首相の逝去、「暮らし」への影響は?
コメント
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この犯人の罪や直接の原因に加え、その背後にある社会の病気に対策する必要を感じます。
変えるべき大きな構造に、SNSの仕組みがあります。いまや、人々の思考や判断に、SNSやネット情報は多大な影響を与えています。この犯人の思考や判断にも強い影響を与えていると思います。
SNSが、広告とそれによる経済効果を追うために、人や社会の幸せや安定性を脅かしているのではないかと思います。
人は、もともとコミュニティで互いに支えあって、特に心の支えを得て暮らしてきました。70年前までは、農村での会合やお祭りが、その後は、企業の飲み会や社員旅行などが心の支えになっていました。
20年前から、これらの仕組みが弱体化し、一方で、SNSやネットが、人との比較や偏った情報で人を誘導してきました。
この仕組みを前提からつくりなおすことが必要だと思います。
心の支えとそのためのつながりの必要性は、人間としての生物学的な本能です。いかに文明が発達しても必要性は変わらないものなのです。
人が前向きになるには、つながりとそれによる心の支えが必要です。
人のコミュニティによる心の支えとなる新たなデジタル技術が必要です。
注目のコメント
コメント掲載して頂きました。コメントには盛り込めなかった(盛り込まなかった)当時の心情的な背景を追記しておきます。政治的な視点を交えるべきか、逡巡しましたが、下記のような理由から、この時点では触れずに、あくまで「情報の扱われ方」という視点からコメントしました。
英国ボリス・ジョンソン首相の辞任では、本人の会見までは、有識者の分析や見立ては報じられても、「中の人」が漏らしたのではないかという情報は出ませんでした。今回は元首相の襲撃事件、命が危ぶまれるという状況でしたので(安倍氏の公人性を排して捉えても、生命という極めて個人的な情報)、なぜ、内情を知る人が出してしまったのか、甚だ疑問でした。
・この時点(当時)で、政治と暴力として語って良いのか
まず、安倍氏が演説中に凶弾に倒れたという事実があります。銃撃という暴力でした。しなしながら、実行犯の意図は言論の封殺や、政治的な心情を持ったものだったのか。当時のタイミングでははっきりせず、「特定団体」に対する恨みという方向、あるいは、「特定団体」とは分離して政治と暴力という方向を強めて報じていました。実行犯の動機が不明な以上、本事件の政治的な意味については触れられないと考えました。
また、テロについて、日本の法律である警察庁組織令第三十九条は、「テロリズム(広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう。)」と定義しています(他の定義の法律もあり)。無論、これは法律上の定義であり、テロにはより幅広く、政治的な要素がなくてもテロとする考え方もあります。この時点では、テロという文脈で語れるかは判断が付きませんでした。
参考資料
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a193125.htm
掲載されたコメントのなかでは、能條さんのご指摘に共感するところが多かったです。
また、事件翌日のシンガポール紙の紙面版の報道ぶりについては、「トピックス」にまとめました。
安倍元総理銃撃事件、「暗殺」と報じたシンガポール紙の報道ぶり
https://newspicks.com/topics/asia-geo-economics/posts/36近年のSNSで生じる問題が、社会全体にひずみをもたらしている気がしてなりません。そういったことを突き詰めていき、社会の皆様に還元していくために、勉強や研究を重ねていきたいと思います。
あまりにショッキングな事件に茫然自失となり、しばらく何も出来なかったーー金曜日の午後の私はそんなでした。
あまりに激しい憤り。そんな時、コメント欄で時折見かけた「この事件は民主主義への挑戦なのか?」という違和感には共感しました。
それより、本記事でも取り上げさせていただいた大室正志さんのコメントにもあるような、先進諸国で議論が進む「孤独」が関わっている犯行なのではないか、と。
多様な立場のピッカーによる、本事件の我々の生活への影響や向き合い方について示唆に富む多様なピッカーのVoiceを集めました。