【分断】響き渡る非難と歓喜。真っ二つに割れるアメリカの現実
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米国の政治は対立を前提としています。対立が無ければ機能しない、といっていいくらい、対立は米国において必要な原動力です。
日本で、国を二分するような政治をしていたのは、1860年代の開国か攘夷か、幕府か王政復古か、が争点になっていた時が最後でしょう。
日本では、やろうと思えばできないこともないのでしょうが、明治以降は国を二分する政治はしないようになっています。移民とか高齢化とかエネルギーとか食料とか、争点をつくろうと思えばできるとは思いますが、この程度では、国は二分しません。東アジアで大規模な戦争が起きるくらいにならないと、そういう対立の政治にはならないでしょう。
米国は、常時、対立の政治をやっています。日本人の政治観だと、中絶が国を二分するような争点には思えないでしょう。
事の起こりは、1973年の最高裁判所による「ロー対ウェイド判決」でしたが、これは、連邦レベルで中絶の権利を認めた判決でした。
従来、中絶についての立法は各州の管轄であり、これは、州の自治権を重視する合衆国憲法から見ても常態というべきあり方でした。1970年代のウーマンリブの時代が、連邦の力で各州での中絶の権利を保障させました。
一面では、州の自治権をめぐる問題です。単に、キリスト教政治勢力の強さによるものでもありません。
米国は、対立を表面化させて活発させることによってこそ、新たな産業や社会運動、文化を興隆させてきました。
実のところ、米国を含む現代の先進国で、封建制や鎖国や奴隷制を主張する人などほとんどいません。資本主義も議会制民主主義も大多数に支持されています。米国の連邦と州の権限についても、分離独立などを主張する人はごく稀です。
中絶賛成派も反対派も、(母親、もしくは胎児の)人権を根拠にしていることには変わりありません。争点はむしろ限られてきているのですが、そこをあえて拡大して表示し、対立を活発化させるのが米国の政治です。
米国の政治はそうせざるをえないのであり、その結果、新しいライフスタイルやそのための産業が興隆していきます。未だに大多数の共和党員は「先の大統領選挙は不正があってトランプ氏が負けた」と考えているそうです。中絶はもちろん、銃規や環境に関する規制にしてもまだまだいろいろな対立は続くでしょう。「価値観の多様性が大切だ」というからには、このくらいのことはわかっているのでしょうが。
米国社会は、右へ左へとスウイングしながらも、前進してきた。それが米国の強さであり、米国の歴史と社会システムだ。この米国の社会分断をもって、米国は終わりだと判断するのは間違いだ。現在の米国の劣化は目立つが、それは我々が米国という国のちょっと前の姿を忘れているためかもしれない。KKKが黒人を吊るしたり、バスの中で黒人が座れないシートがあったりしていた国だ。ウオーターゲート事件の酷さ、クリントン大統領は執務室でスキャンダルを引き起こした。大統領でさえそんなレベルだ。80年代のニューヨークの治安の悪さ、地下鉄の恐ろしさ・・・米国社会なんて、そんなものであった。米国は美しくもあり、醜くもある。そういう国なのだろう。