シリコンバレーに日本を売り込んだ男_対談編

シリコンバレーに「日本」を売り込んだ男 第9回

(特別対談・前編)愚直な営業こそ、シリコンバレー的だ

2014/12/03
これまで全8回にわたり、「シリコンバレーに『お〜いお茶ブーム』を広めた男」角野賢一氏の物語を連載した。『お〜いお茶』がシリコンバレーでブレイクした理由は、角野氏ひとりの力ではなく、さまざまな人との「出会い」が背景にはあったことが分かる。わけてもキーパーソンは角野氏のメンターのひとり、現Evernote日本法人会長の外村仁氏。今回と次回では、角野氏と外村氏との特別対談をお届けする。

Evernoteに「お〜いお茶」が入った真実

ーー今日は、これまでの角野さんの取り組みを中心に、「シリコンバレーで働くこと」について聞かせてください。

外村:この連載はシリコンバレーの仲間内でも話題になっていて、非常に楽しく読みました。ただ、角野さんは時間が経つとかなり大げさに喋る癖がある(笑)。シリコンバレーでやったことは全部、自分ひとりでやった話になっているんじゃないかと心配になりました。だが、歴史が捏造されると困る。そこで、今日はすべてを白日のもとにさらしましょう。私は、昔から記憶力がよくて、「ひとりEvernote」と言われていたくらいでね。

角野:いやいや、そんなことないですよ(笑)。

外村:まず、Evernoteに「お〜いお茶」が入った経緯を話しましょう。実は角野さんと知り合う前から、Evernote本社には「お〜いお茶」が常備してありました。この前の提携発表の会見(連載第6回にて紹介)でフィルも言っていましたが、社員が20人くらいの頃から、なぜか「お〜いお茶」が好きな人が多かった。

その頃は、在庫がなくなるたびに、人事総務担当の人がコストコに買いに行っていたんです。しかし「お〜いお茶」の人気が上がり、人が増えるにつれ、この買い出しがなかなかの大仕事になってきまして。それで、どうにか「お〜いお茶」をオフィスに直送してもらえないかと考え、昔伊藤園にいた知り合いを探し出して今の担当を紹介してもらったのが、角野さんとの最初の出会いです。

角野:ちょうど、2011年の5月ですね。

外村: そこで、角野さんにお会いして、今と同じくらいの値段で、どうにかオフィスに配送してもらえないかという相談をしました。当時は小さなベンチャーだし、消費量もたいして多くはない。でも、角野さんは「頑張ります」と言ってくれて、以降ファックスで注文すると「お〜いお茶」が届く道筋をつけてくれて、担当者は楽になったとずいぶん喜んでいました。

角野:そうでしたかね。

外村:こうまでしてもらったなら、お返しに何かしてあげたいと思っていた矢先、角野さんから営業がうまくいかなくて困っているという話を聞いたのです。だから、その場で僕が思いつくアドバイスをいくつかしました。ここでは、取引先との力関係ですべてが決まってしまう。日本みたいに、「何回もプッシュしていったら、向こうが根負けして買ってくれる」ということは、まずない。だから、実際飲むお客さんに「欲しい」って言わせて、それから仕入れてもらう“プルマーケティング”にした方がいい、と。要するに、「うちみたいな会社をもっと増やしなよ」と伝えました。

角野:そのアドバイスをもらって、エンジニアの友人を作ろうと、毎日のようにイベントに顔を出すようになりましたね。

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角野賢一という男の強み

ーーそもそも、なぜ外村さんはそこまでして角野さんを助けようと思ったのですか?

角野:おそらく、外村さんが僕を見込んだとか、そういったことではないと思います。外村さんは、もともとgive&give&giveの人で、「100回giveして1回返ってきたらいい」というスタンスなんです。だから、今のような立場になっても、どんな人に対しても持っている何かをgiveしようとするんですよね。

外村:確かに、自分の知っていることが、その人の役に立つのであれば、「はい、どうぞ、どんどん使ってください」というのが私の信条です。

ただ、角野さんの場合、先にちょっとgiveをいただいたというもあります。本当に小さな会社で、それほど取扱量も多くないのに、僕らが「お〜いお茶」が好きというだけで道を作ってくれた。それにはまず何かお返ししようと思いました。

角野:僕のgiveはちょっとでしたか(笑)

外村:そんなことないよ(笑)

でもね、普通、私がちょっとアドバイスしたくらいでは、上手くいかない人のほうが多い。角野さんの何がすごいか一言で言えば、それは「愚直さ」。

私は日本の企業に呼ばれて講演することも多くありますが、聴いている人はみんな頭が良くて、理解力も高い場合がほとんど。それで、話が終わると、大体、「お話、感激しました! 名刺交換してください!」となる。でも、ほとんどの人はそこで終わってしまう。つまり、頭で理解して分かった気になって、「良い話、聴いたな〜」と満足するだけ。明日からの行動は、あまり変わらない。これが、頭よすぎる人たちが陥りがちな罠だと思う。

角野:その話、遠回しに僕のこと、頭悪い単純な野郎って言っていませんか?(笑)

外村:言ってない、言ってない。

僕も日本で働いていたときは、やる前からできない理由を先回りして考えて「これはやっても仕方がない。だからやらない」と能書きをたれていたことが多かった。でもシリコンバレーの風土は逆で、まずはとりあえずやってみて、ダメなら修正してやり直せばいいという考え方なんですね。私も、会社を何社も立ち上げ、そういう文化に染まった今となっては、昔の自分の言動を思うとちょっと恥ずかしい。

時々日本に帰ってきて、例えば大学で若い人と会うと、みんな頭は良いのに行動に繋がってない人が多い。何かをやる前から、やってもうまく行かない理由を素早く考え、結局行動しない。私はこの現象を「先回り心配症候群」って呼んでいるんですが、そういう人をみると、モヤモヤします。そうした時に、「久々に若くてストレートなやつが来たな」というのが角野さんの印象でした。

角野:ますます、僕が単純で頭悪いみたいな言い方じゃないですか。

外村:だから、誰も頭悪いとは言ってないよ!(笑)

もともとシリコンバレー的だった泥臭さ

角野:でも、実は僕、「頭が悪いことは悪い」とは微塵も思っていないんです(笑)。むしろ、アドバイスを単純に疑うことなく信じ、その通りにするところは、自分の差別化ポイントだと信じています。

そもそも僕は、伊藤園に入って、まさにこの辺りのエリア(本対談は、赤坂のEvernote Japanのオフィスで行われ、角野氏の最初の配属は東京港区の支店だった)を毎日トラックで回っていたんです。毎日何十ケースもの製品を運びながら、営業をしていました。そういう泥臭いことをやってきたからこそ、外村さんから「エンジニアと仲良くなったほうがいいよ」って言われた時は、すぐに氷とバケツとお茶を持って、毎晩のようにエンジニア向けイベントに行くアイディアを思いついたんです。だって、僕の強みは、そんなフットワークの軽さですから。そのくらいやるのことをやるのはお茶の子さいさいでした。

反対に、もし僕が、「お金をかけてキャンペーンガールを使って、サンプリングやりましょう」なんて経験しかしてこなかったら、きっとシリコンバレーに行っても、そういう営業をやっていたと思います。でも、そもそもどうお金を使えばいいかなんて、使った経験がないから分からない。「お金を使おう」という発想がそもそもなかったんです。だから、自分の手足と口を使って、人にどう伝わるか、それだけを一生懸命考えてやってきました。

外村:何か行動を起こした時、その効果があるかないかは、やってから検証すればいいだけの話です。ただ、過去の基準で「賢い」と言われてきた人には、行動する前に頭だけでシュミレーションしたり、あるいは過去の経験に照らしてやらない方がいいと判断する場合が多い。でも、ダイナミックに環境や価値観が変化する現在、過去の経験が今日起こることに適用できる保証はどこにもない。

だから、「コレ、いいじゃん」と思ったら、とにかくやってみればいい。その意味で、角野さんはシリコンバレー経験が浅かったにもかかわらず、最初から極めてシリコンバレー的な資質があった。何度も失敗はあったと思います。それでも諦めずに愚直に繰り返したことが、成功に繋がったんでしょうね。

外村仁(ほかむら・ひとし)  Evernote日本法人会長。1963年熊本県生まれ。東京大学工学部卒業後、ベイン・アンド・カンパニーを経て、1992年よりアップルコンピュータ社。同社マーケティング本部長等を歴任した後、INSEAD(フランス)、IMD(スイス)で MBA を取得。2000年にシリコンバレーでGeneric Mediaを共同創業。その後はスタートアップ・アドバイザーとして活躍し、2010年より現職。シリコンバレー日本人起業家ネットワーク(SVJEN)の初代代表。

外村仁(ほかむら・ひとし)
Evernote日本法人会長。1963年熊本県生まれ。東京大学工学部卒業後、ベイン・アンド・カンパニーを経て、1992年よりアップルコンピュータ社。同社マーケティング本部長等を歴任した後、INSEAD(フランス)、IMD(スイス)で MBA を取得。2000年にシリコンバレーでGeneric Mediaを共同創業。その後はスタートアップ・アドバイザーとして活躍し、2010年より現職。シリコンバレー日本人起業家ネットワーク(SVJEN)の初代代表。

ーーシリコンバレーで成功するには、そうした愚直さが大切ということですね。

外村:私は2002年にSVJEN(シリコンバレー日本人起業家ネットワーク)というNPOを立ち上げましたが、そこでよく「どうやったらシリコンバレーで成功するか?」という質問が持ち上がったものです。

そこで成功した一定数の人が必ず言うことが、「成功したのは、成功するまでやったからだ」というシンプルな法則です。

実際に行動しているときは、角野さんはそのセオリーを意識していなかったかもしれない。でもとにかく、「この方向で正解という保証はないけど、大ハズレもないだろう」という大まかな道筋をつけて行動した。この行動することと、継続することが、成功する上で極めて重要なのです。このやり方は、確かに荒削りだしドタバタも多々ある。でも、方向を決めた後はとにかくアクションを続ければ結果は出る。だから実は、角野さんの営業スタイルは、「元祖起業家」の王道を行っていたともいえるんだよね。

角野:でも、当時はそこまで考えていませんでしたけどね。

外村:愚直さ・実直さというのが、今の時代だからこそ大切なんじゃないかなぁ。あ、マイクロソフト社長の樋口泰行さんが書いた『「愚直」論』というまんまの本があるから、今度読んでみたら?

角野:分かりました。読んでみます。

外村:バカという言葉は的確ではないけれど、余計なことは考えず、一定の期間は続けてみたほうがいい。結果的に気づいたら結構、成功しているというのが理想。いい意味で「Stay Foolish」であったほうがいいんです。

でも今の時代、みんな愚直さが薄れてきた。だからこそ、愚直な営業を続けた角野さんの姿が、「まるでサムライみたいだ」と皆の目に、とても新鮮に映ったんだと思います(後編につづく)

(取材:荒川拓・佐藤瑠美 構成:荒川拓)