【RS】女性管理職に立ちはだかる12の壁

第二子出産後、あえて「ふりだし」に戻る

子どもの成長後、管理職に「返り咲く」方法

2014/12/3
安倍内閣は「社会のあらゆる分野における、指導的地位に女性が占める割合」を2020年までに30%まで引き上げると宣言。だが、急遽、管理職になった女性社員の中には、明らかな能力不足を指摘されるケースもある。では、先達の女性管理職たちは、どうやってスキル不足やテクニック不足、あるいは周囲の理解不足といった”壁”を乗り越えてきたのか?連載第10回は、一度は管理職になったら、出産・育児などライフイベントが訪れても、一生管理職で居続けなくてはいけないのか?名付けて「一生管理職は無理」の壁を砕く方法について、ソニーの統括課長に聞いた。

「管理職という役割にチャレンジしてみたい気持ちはある。でも、それをずっと続けられるかどうか自信がない」

そんな不安を口にしたのは人材会社で営業を担当する30代前半の女性だった。結婚、出産、育児、そして介護など、女性はライフイベントによって働き方を見直すタイミングがいくつもある。身軽で仕事に思い切り打ちこめる時期に、昇進のキャリアパスを選んだとしても、責任ある立場をいつまでまっとうできるか。その不安ゆえに、躊躇する女性は少なくなさそうだ。

文系出身だが自ら手を上げPC開発

「男女限らず、ライフサイクルに合わせて柔軟に、キャリアをアップ&ダウンさせていけばいいと思います」

そう笑顔で自身の経験を語ってくれたのは、ソニーのUX・商品戦略・セールス&マーケティング本部で統括課長を務める甘利恵理子さん(45歳)だ。複数の役割を兼務しながら、主にソニー製品やサービスの使いやすさの向上を推進する職務を担う(※2014年10月取材当時)。高校1年生と小学4年生の二人の女の子の母の顔も持つ。

大学卒業後、当時ソニーが始めたばかりだった秋入社の制度を利用して半年間の米留学を経て、半導体海外営業部に配属。海外メーカー向け営業を3年ほど担当した後、「せっかく大好きなソニーに入社したのだからものづくりに関わりたい」と社内公募で手を上げ、産声をあげたばかりのPC開発・設計部門に異動した。

文系出身、しかも女性というのは、設計部門ではごく少数派。「見渡せば男だらけ」の環境だったが、「VAIO」の立ち上げを間近で見ながら、事業の拡大と共に自身の仕事の範囲をどんどん広がり、成長を感じられるのが面白かった。

第1子の育児休暇復帰後に係長試験を受けてチームをまとめる立場に。33歳で統括課長の打診を受けた時は、「私が?」という戸惑いもあったが、機種の数が急増する中で立ち上げメンバーとして全体を把握できる人材が他にはいないのだからと納得できた。

「ソニーは早くからダイバーシティに取り組んできましたが、それでも技術系の女性管理職はまだまだ少数派です。課長会に出たら、50人くらいの出席者のうち女性は私一人。何をやっても目立ってしまう一方で、だからこそ少々生意気な発言をしてしまっても『甘利だからしょうがないな』と受け入れてもらえたのかもしれません。あまり周りの声は気にせず、とにかく無我夢中でやっていました」

ソニーの UX・商品戦略・セールス&マーケティング本部で統括課長を務める甘利恵理子さん

ソニーの UX・商品戦略・セールス&マーケティング本部で統括課長を務める甘利恵理子さん

一度上げた手を下げてもいい

乳幼児を育てながらマネジメントをする日常は、周囲の男性たちのスタイルと同じようにはいかないことがほとんどだった。17時過ぎに会社を出なければ保育園の迎えに間に合わない甘利さんが、育児と管理職としての役割の両立のためにとった方法は「徹底した情報共有」だ。部下の中でも信頼できるリーダー職2名に、常に仕事の進捗状況を伝え、重要な連絡事項をやりとりするメールにはすべてCCをつけて、「人事以外の情報はほとんどオープンにした」。

いつでも業務を引き継げる環境を整えることで、子どもの発熱などの窮地を切り抜けてきた甘利さんだったが、二人目の出産から復帰したタイミングで、いったん課長職を下りるという決断をする。タッチパッドや指紋センサーなどの導入に関わる電気設計の部署で、いち担当者として、いわば“ふりだしに戻る”選択をしたのだ。

「私にとっては、無理なく長く働き続けるための前向きな選択でした。管理職になるというと、一生そのまま昇進のレールの上を走り続けなければならないような気がしますが、仕事に打ち込める状況の変化によって、一度上げた手を下げてもいいんじゃないでしょうか。冷静に周りを見渡してみれば、男性だって一度閑職についてから“返り咲く”人はけっこういますよね。女性も長期的な視点をもって、キャリアのアップ&ダウンをイメージするほうが気持ちが楽になると思います」

担当者に戻った甘利さんの上司になったのは、かつて机を並べていた気心のしれた仲間でもあった。課長経験のある甘利さんは上司が求める指示の意図が手に取るように分かり、「若い頃よりもずっと優秀な担当者になれた」と笑う。

その後、甘利さんは係長になり、会長兼社長CEO秘書など経て、2年前に現職の統括課長に昇進した。本人の言葉を借りるなら、見事に“返り咲き”を果たしたのだ。

「一度、担当者に戻る期間があったからこそ、以前よりもゆとりをもってマネジメントに打ち込めている気がします。大事にしているのは、折に触れメンバーと直接話すこと。部下の自主性を重視して任せつつ、メールだけで済まさないコミュニケーションを心がけています」

ストリンガー会長の秘書になったのは、VAIO事業本部移転がきっかけだった。帰国子女でもない設計部門出身者が選ばれるのは初めてのことで、本人にとっても驚きの人事でもあったが、「雲の上の天井人のような存在だった役員の仕事を間近で見られた経験はとても勉強になった」。

「最大の収穫は“どこまで上がっても人は人”と実感できたことです。自分よりはるかに上の役職に就く人に対しては、つい『自分たちとは立場が違う』『どうせ何を言ってもわからない』と敬遠しがちです。でも、本当は現場で働く人と同じように会社や仕事に向き合っているし、聞く耳も十分に持っている。私はたまたま秘書の立場になる機会をいただけて、そう実感できましたが、どんな形であれ“上の世界を見る経験”を持つことは、キャリアや仕事そのものを俯瞰して考えるために有効だと思います」

キャリアは上り坂でなくていい。でこぼこ道だからこそ見える世界だってある。そんなメッセージを、甘利さんは社内の若手女性向け研修の機会でも伝えるようにしている。

※本連載は毎週水曜日に掲載します。