2022/6/17

【茨城】高級旅館のM&A、ブライダルの未開拓市場に挑戦

ライター
先の見えないコロナ禍に世の中が暗たんとしていた2020年10月、茨城県ひたちなか市に本社を構える小野写真館は、伊豆の小さな高級旅館を買収しました。まったくの異業種に参入、しかも縁もゆかりもない伊豆の旅館のM&Aを主導したのが、同社社長の小野哲人さんです。
2代目社長として、それまでも事業の多角化を進めてきた小野さんが、なぜ旅館のM&Aを決断したのでしょうか。地方の中小企業が挑むコロナ禍での生き残り戦略について、4回連載で取材しました。
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INDEX
  • 2カ月で売り上げ8割減のコロナ危機
  • 偶然目に留まった高級旅館のM&A物件
  • 伊豆フォトウエディングは「ブルーオーシャン」
  • 撮影当日以外は、すべてオンラインで完結
  • 旅館業がやりたいわけではない
  • M&Aは事業再構築のカード
小野哲人/小野写真館 代表取締役社長
1975年生まれ。青山学院大学卒業後、外資系金融会社勤務などを経て、アメリカ・カリフォルニア州で1年半、写真の基礎と技術を学び、Lower Division Award受賞。2005年に帰国し、小野写真館入社。2006年、ブライダル事業「アンシャンテ」を立ち上げ、事業の多角化展開をスタート。2010年より代表取締役社長。

2カ月で売り上げ8割減のコロナ危機

茨城の写真館が伊豆の高級旅館をM&Aで購入──。写真館が旅館を買ってどうするのか? そんな疑問を抱く人も少なくなく、小野写真館のユニークなM&A戦略は注目を集めます。
小野 「私が先代社長である父の後を継ぐために小野写真館に入社したのは2006年、30歳のときです。その後、ウエディング事業や振り袖レンタルなど新規事業拡大を担い、年商20%ペースで業績を伸ばしてきました。
しかし、2020年春からのコロナ禍で状況は一変します。写真撮影は人が介在するリアルビジネスです。特に主軸の結婚式は多くの人が集まるため、中止や延期が相次ぎました。2020年4月、5月は2カ月間で前年比の売り上げの8割減という厳しいものでした。しかも春は卒業、入学シーズンで写真館にとってはかき入れどきですが、その需要も失いました。
たった2カ月で「倒産」の2文字がちらつくほど、あっという間に危機的状況に陥ってしまったのです」
小野写真館が買収した伊豆・河津の小高い丘の上にある4室だけの旅館(提供・小野写真館)

偶然目に留まった高級旅館のM&A物件

小野さんに、手をこまねいている時間はありませんでした。ガランとしたレストランやフォトウエディング会場を眺めながら、起死回生の手段を模索。そのひとつが伊豆の旅館を買収することでした。
「コロナ禍でも成立する、今までとは違う新しいビジネスをつくりださなくてはいけない。その手段となるのがM&Aでした。デジタルシフトを目的に物件情報を探していたときにたまたま目に留まったのが、事業継承者を探す伊豆の高級旅館でした」
売りに出されていたのは、老夫婦2人が経営する小さな高級旅館。体力的に負担の大きい旅館業務からの引退を考えていましたが、子どもたちに後を継ぐ意思はなく、M&Aによる事業の引き取り手を探していました。
「伊豆で4室しかない全室オーシャンビューの露天風呂つき旅館。そのフレーズを見た瞬間に、ピンと来るものがありました。ここなら貸し切りの結婚式もできる、と」
コロナ禍で、家族やごく親しい人だけで行う小さな結婚式や写真だけのウエディングフォトが増えていました。まさにウィズコロナ、アフターコロナの事業の条件がそろっていたのです。
「すぐに現地に足を運んでみると、旅館の前にはガーデンウエディングにぴったりの庭もありました。『ここしかない!』。そんな強い熱意が通じたのか、当初は『なぜ写真館が旅館を?』と不思議がっていた元オーナーさんも、我々に旅館を託してくれました」
まるで海外のようなビューポイントでのフォトウエディング(提供・小野写真館)

伊豆フォトウエディングは「ブルーオーシャン」

おもてなし感にあふれる高級旅館での小さな貸し切りウエディング。しかし、小野さんの本命の狙いは、伊豆を舞台にしたフォトウエディングの展開にありました。
「旅館はスタッフもそのまま引き継ぎ、ロケーションもおもてなし感も十分魅力的ですが、コロナ禍ではまだまだ業績が見通せません。実際、緊急事態宣言やまん延防止措置になる度に一気にキャンセルとなり、旅館業単体ではまだまだ赤字の状態です。
一方で、旅館を拠点に始めたフォトウエディング事業「アンシャンテ伊豆」の人気は急上昇中です。2021年2月河津桜のシーズンは500万円を売り上げ、2022年度の売り上げは3000万円予想など、すでに順調に黒字化しています。
フォトウエディングといえば、北海道や沖縄、軽井沢、都内では東京駅周辺などが人気ですが、そういう場所はすでに多くの業者がひしめき合うレッドオーシャンです。その点、伊豆はフォトウエディングの舞台としては、完全なブルーオーシャン。競合となるライバル事業者もいません。
伊豆には海も山もあり、旅館から車で10分も走ればまるでヨーロッパのような風景が広がっています。しかも、沖縄なら海辺の人気撮影スポットには、10組ほどカップルが順番待ちしているという光景はざらですが、河津ではほかのカップルに会うこともありません。ゆっくりと自分たちだけの世界で撮影を楽しんでいただけます」
問い合わせから販売、撮影打ち合わせまですべてをオンラインで行うので、フォトウエディングを利用するカップルの負担も少ない

撮影当日以外は、すべてオンラインで完結

アンシャンテ伊豆をスタートしたことで、コロナ禍のプラスの影響にも気づきます。それは撮影当日以外のすべてのやりとりが、オンラインで完結できることでした。
「これまでなら撮影場所の下見、ドレスの試着、打ち合わせなど、リアルなやりとりが当たり前でした。しかし、今はお客さまとのやりとりはすべてオンライン。サンプル動画や写真を見てもらいすべての準備を完結できるのは、お客さまにとっても弊社にとっても、非常に効率的です。
伊豆のフォトウエディングのお客さまは、ほぼ首都圏の方なので、事前にオンラインで打ち合わせを済ませて、当日に車で3時間ほどの河津にいらしていただくだけです。オンラインだけで年間100件以上の案件を成立させた実績は、大きな自信となりましたね」
ロケーションに恵まれた日本の地方には、フォトウエディング事業の可能性があると語る小野さん

旅館業がやりたいわけではない

小野写真館の旅館のM&Aは話題となり、後継者難、コロナ禍による業績不振に悩む全国の旅館からM&Aの申し出が相次ぎます。しかし、小野さんは「旅館業に異業種参入したいわけではない」と言い切ります。
「旅館業そのものをやりたいわけではなく、地方の田舎にあるロケーションから“感動体験”を生み出していきたい。それは旅館でなくてもいいんです。例えば地方の海辺にあるカフェを買収し、カフェの営業をしながら、近隣の絵になる場所を舞台にしたフォトウエディング事業を展開できればいい。
それができるのは、フォトウエディングのノウハウやスタッフを自前で持ち、異業種M&Aを成功させた我々だからできること。他社には真似できない事業スタイルです」
結婚式は誰もが笑顔になれる幸せの感動であふれている(提供・小野写真館)

M&Aは事業再構築のカード

コロナ禍で経営危機という絶体絶命のピンチを、事業の再構築という大きなチャンスにした小野さん。いくつかの条件が重なったことが、それを可能にしました。M&Aという手段を採用したこと、売り主がオーナーの会社だったこと、そして金融経験のある小野さんにM&Aに必要な知識があったことも大きかったといえます。
「M&Aでは、買いたいと思うような事業に巡り合えるかは、運と縁でしかありません。もちろん、M&Aにはさまざまなリスクが伴いますが、コロナ禍によってあらゆる産業がリセットされた今は、挑戦すべきときです。僕自身、今がビジネス人生最大のチャンスが来ていることをひしひしと感じています。
ウエディング業界では、これまでトップにいた企業が軒並み業績悪化に苦しんでいます。つまり固定されていたプレーヤーが入れ替わる、戦国時代に突入したような状況なんです。だったら、今、ここでアクセルを踏んでドライブさせないでどうするのか。そもそも自社の既存事業がとことん落ち込んでいるのだから、チャレンジして失うものはありません。
今回ラッキーだったのは、旅館のオーナーからの買収だったということです。相手が事業会社であれば、基本的に金額ありきで話が進むので、熱意だけでは通じなかったはずです。また、M&Aを担当する私はオーナー社長ですから、即断即決でスピーディに話を進められる。
しかも、金融会社での知識と経験があるので、M&Aの仕組みやポイント、リスクも十分理解できていることも強みとなりました」
旅館の元オーナーと一緒に。写真×旅館という新しいニーズを掘り起こした(提供・小野写真館)
「M&Aは自社の成長のためにやってることですが、中小企業の事業継承問題の解決に一役買っている側面もあります。
今回、M&Aした旅館の元オーナーの方は、引退するにあたり後継者がおらず事業継承先を探されていました。売り手の事業への想いを引き継ぎつつ新たなビジネスの息を吹き込む。それによって、買い手である我々の事業も成長できる。双方にとって大きなメリットをもたらしています。
中小企業の後継者不足という社会課題に貢献できていることは、今後のビジネス展開の励みになっていますね」
連載2回目では、自身が2代目として小野写真館を継ぐに至った経緯、2代目として挑戦した事業拡大について詳しく聞きます。
Vol.2に続く(※NewsPicks +dの詳細はこちらから)