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タブーに切り込め!ここがおかしい「日本の保険」
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高齢者医療には17兆円の医療費をかけ、科学技術予算には4兆円程度しか支出していないのは国の発展ではやはりおかしい。

しかも日本人は自身の健康状態の評価は低く、質の良い医療を受けていると感じる人はOECDの平均程度。
高齢者医療は提供の仕方を変えて医療者も患者も幸せになる形にしながら、科学技術予算を増額していくことが大事ですね。
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最近たまたまニホンの超一流大学、と言われる大学の方々が著者の論文を査読させて頂く機会がありました タイトルが面白そうだったのでお引き受けした (最近は殆んどお断りしてます、時間ないので) のですが、院生さんに書いてもらったドラフトを、先生がちゃんと直されないまま提出なされたような感じでした 特に気になったのは、技術スキルは悪くないのに、それを使って解くべき問題の設定が非常に悪い点です 先生が直されていない、と感じたのはこのせいです

また、エイゴ自体は悪くないのですが、引用論文の範囲が極端に狭く (殆んど超古典+自分たちの過去論文)、少しだけ引用されている他の論文は読んで (読めて) いないのが明らかな記述でした 先生が直されていない、と感じたのはコレもあります

一方で、もし院生さんが書いたのなら、3-4年メリケントップスクールの博士課程で追加トレーニングすれば、いい線 (=世界最高レベル) 行ける感じだとも思いました

比較的ニッチ分野でのサンプル数1で一般化の意図は全くありませんが、正直驚くと共に、示唆的であるとも思いました

このぐらいにしておきますね、業界狭いので
これは本当に深刻に受け止めた方がいいです。
医学の分野についてだけでも、基礎研究ではなく臨床分野においての話ですが、日本では日々の診療業務の傍ら自己研鑽(=業務時間外の時間を費やす)という形で論文をまとめるしかない一方、米国では、論文にあてる期間が設けられるなど、業務の中にちゃんと組み込まれているし、それだけのマンパワーと予算が確保されているということ。
学術的な影響力の低下も、学力や大学ランキングの低下も、ずっと前から指摘されています。問題が顕在化したときには対策が困難なほど深刻化している可能性もあります。前からわかっていたことなのに、どうして手が打てないのでしょうか。

また、国策だけでなく社会の意識も変えていかないといかないとだめだと思います。最近、とある学生から博士進学について相談を受けました。親からいつまで学生として遊んでるんだと反対されたといいます。また、別の話ですが、博士人材が就活をすると、柔軟性のないオタク扱いされることも少なくありません。そのような意識こそが深刻だと思います。
日本の論文数自体は大きく変わっていません。過去最低ランクを示したのは,被引用数Top10%論文,いわゆる注目論文数ですね。こちらはシェアも絶対数も減少しています。
詳細な分析が必要ですが,研究者自身はそれなりに結果を出して論文を出しているけれども,インパクトの高い研究成果が生まれにくくなっているということなのかな。
研究環境を整えることが急務とされているが,果たしてそれで変わるのだろうか。もっと根の深い問題だと感じている。
あくまで個人の意見ですが,研究者界隈(特に若手)に筆頭著者論文数至上主義のような評価軸があることで,協力して大物を狙う研究が育たないのだと思っている。
> 今世紀の日本のノーベル賞受賞者数は世界2位(19人)となり「大きな存在感を示している」と評価。

ノーベル賞は10年か20年遅れて出るものですからねえ。つまり科学の世界でも日本のピークは1980〜2000年くらいだったのかもしれません。

科学におけるピークが経済のピークと重なったのは偶然ではないと思う。やはり、科学という生活には何の利益も及ばさない「無駄」をするには物質的・精神的余裕が必要なのです。
日本と米国の両方で臨床現場の医師として働いた経験からですが、米国では契約時に月曜日から金曜日までの時間のうち、どの程度の割合を臨床業務に使い、どの程度の割合を研究や事務作業に使うかというのを契約時に取り決めます。

臨床100%の方もいますが、逆に臨床を20%として80%の時間を研究に割いている臨床医もおり、様々です。一方で、日本の病院では、多くの臨床医が週5-6日(米国で言うところの100~120%)は臨床業務があり、研究や事務作業は夜間か週末に行います。

論文数の背後にある、労働環境も「状況は深刻」です。
文科省も経産省もこれだけハッキリと結果が出てるんだから、これまでの間違いを反省して、研究者の声に耳を傾け、いい加減、方向転換すべきだろう。ノーベル賞の受賞会見が毎回、日本の研究環境の危機を訴える場になっている。責任を取るべし。
大学という存在を「薄く広く」してしまったことが原因でしょう。

入試英語で合格しなくとも大学生になれるので、英語論文の読み書きができない大学生や院生が増えています。

それに加えて、学費の高騰で(能力があっても)大学院どころか大学に進めない生徒が急増しています。
海外留学となると、ますます高い壁が立ちはだかります。

高度人材の層が薄くなっているので、優れた論文数がすくなくなる。
これは当然のことです。
「昔、日本からもノーベル賞でる時代があったらしいね」なんてことになる勢い。微力ながらもできることを考えたい。

「今世紀の日本のノーベル賞受賞者数は世界2位(19人)となり「大きな存在感を示している」と評価。一方で、影響力が大きな学術論文(被引用数上位10%)の数の国別ランキングで、日本は過去最低の10位に後退し「このような状況は深刻に受け止めるべきだ」と危機感を示した。」