「欠点アリの被害者」に寄り添わないと#MeTooは死ぬ
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「#MeToo(ヒントはこの名称にある)運動は、信じてもらえなかったすべてのビッチの体験を結びつけることでこの状況と戦い、性加害のパターンが明らかになった」
この一節は、言葉遣いは激しめなものの、本当に核心を感じました。今回の裁判のファクトは全部把握しているわけではありませんが、何かに声を挙げた人が逆に糾弾される構図というのは、権力の非対称性から起きがちです。これは組織の同調ばかりを重要視する日本社会の特徴かと思いきや、アメリカでも世論が振れることがあるのはなかなか人間の性を感じさせられます。
組織でも社会でも、声を挙げられない、挙げにくい、挙げたら損をする、ということが絶対に起きないようにできるのが、多様性の一歩目と考えると、自分も常に意識しないといけないと突きつけられました。
注目のコメント
今日取り上げるのは、日本ではあまり深く報じられていない俳優のジョニーデップさんとその妻による裁判です。ビッチだろうと、過去に犯罪をしていたとしても、その事実と、DV被害にあったかどうかは別のことですが、印象操作とは、本当に怖いものです。
女性といえど、MeTooや、社会進出への働き掛けなどへの意見はさまざまです。だから、分断されやすい。けれど、そうなってしまうと、旧体制派が喜ぶ結果になってしまいます。
その時において、女性自身も(女性以外の性の方も)、相手を一人の人間として尊重し、理解しようと努めることを忘れないでおきたいです。
4回に渡り、連載してきた「遅れてきた#MeToo」も一旦、今日で最後です。
映画という業界は、どうしても目立つ業界なので、クローズアップされやすいですが、メディアも、スタートアップ界隈も噂は耳にします。
映画をきっかけに、さまざまな業界でこれまでの慣習を見直す流れになればいいなと思っています。″完璧な「被害者」はいない。“
タイトルにハッとしました。
アンバーハードがわかりやすい欠点の持ち主であっだからこそDVの有無よりも、過去の逮捕歴や法廷での女優にしては上手ない芝居に意識が奪われ、何言ってもその悪印象に左右された感があります。
このタイトルを反省を込めて噛み締めていきたい。