“優秀”なだけでは生き抜けない、正解がたくさんある時代へ
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ビジネスの世界で「あのヒト、優秀」と言う場合の多くは、安定的に成果を出しているケースを指しているのだと思いますが、ここでのポイントは「その成果を司っている行動特性は何か」というとこですよね。
確かに「要するにこういうこと」と概念化して最適解を導く「概念理解力」みたいなものだけでなく、なぜだろう?とマニアックに突き詰めて、本質まで辿り着こうとする力もあった方が、結局のところの根本的解決やイノベーションに繋がるような気がします。探究心、でしょうか。
で、もう一歩踏み込むと「ウチの場合は」「このポジションは」といったように、各々固有に求められる「成果を司る特性」が言語化できると良い。「地頭が良いヒト」みたいなビッグワードで括らない方がいいんでしょうね。
注目のコメント
そういう、学歴不要論とか、その類の論はたまに出てくるのだけど、逆に学歴学歴とうるさくなる一方、社会は
寛容性が低くなるだけで
そうなった試しがないのでどうせウソでしょ
私は信じない、寝言は寝てから言えアホって言いたくなる
だいたい、たたき上げの人間ならともかく
高学歴の人間がそんなものを論じても何の説得力もないキャッチアップ時代は有効なシステムだった。が、頂に近づくと、求められる力が机上の優秀さでなくっていた。
まだまだこの国は、東大を筆頭にしたヒエラルキーの中にいると思う。
人の数だけ、答えがあり、自分自身がたどり着いた方法は一生物。
ゆっくり、急ぐ。ある本にあった言葉が離れない。