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国際法を破ってウクライナ侵攻をつづけるロシア政府と、乱射事件は同じ思考の延長線上にあります。そういう風潮が世界中に蔓延している。それを拡散させているメディアのひとつがSNS。
個人的には、その善の面を子供のころに感じてネットが大好きになった。一方で、よく出入りしていたサイトでいわゆる古参問題が発生して、悪気はなくても排他的な人がいて、そして2chで炎上するのを見て、嬉しくない面も見た。なんとなくそこらへんから、ピュアなネットだけの世界からは一定の距離を置くようになったと思う(でも興味関心でつながることの強さや魅力を、NPの初期に感じることができたのも、自分の行動にとっては大きい変化だった)。
ネットには、孤立を救う力もあれば、孤立を求心力にアクションにまでつなげてしまう力もある。
子供のころと比較しても、様々な規制が色々なところであり、昔はどうしてこういう規制がなかったのかと感じる点もある。喫煙などは最たるもの。10年後、20年後に、現在の状況はどう振り返られているのだろうか。
『ネット上で誰かとつながることによって、居場所がほしいと考える人たちがいます。それと同じような動機でネット上の過激派の巣窟に入っていって、べたべたと粘着質なその空間から逃れられなくなってしまう人もいるのです。
こうしたサイトにとらわれた人たちは、そこで信念を獲得し、時に社会で孤立します。人種差別的な中傷を面白がるような相手とは、誰も友達になりたくありませんからね。
しかし、ネットの世界でなら、彼らも数回のクリックである種の承認欲求を満たすことができます。そして、この励ましのフィードバックのループにはまっていくのです。』