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何か反論の方が正論に見えますね。
何がなんでもランドセルは背負わないといけないという理由がない気がします。
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教科書を学校に置いていく「置き勉」をすれば、重いランドセルを毎日持っていくことはないですが教育の現場では中々認められてないところ多いんですよね...もちろん、防犯の意味があるのは頷けますが。

私は、二つの小学校を経験しています。一つは静岡県の小学校で家からと徒歩5分あるかないかくらいでした。もう一つは佐賀県の小学校で家から2キロはありました。

正直に言うと、5分程度だったら何も感じなかったのですが、家から2キロとなると途中休憩を挟まないとキツかったです。今回のアイデアは批判も寄せられていますが、毎日「苦行」を強いられてた身としては応援の気持ちを持っています。
出来上がった製品の形はどのようなものであれ、子どもたちが目の前の当たり前に目を向けて、自分たちの頭で考え直すという経験をしていることに、大変意味があると思います。
子供達の反論に納得。
こうしてちゃんと自分の意見が言える、大切なこと。

そして自分たちの課題解決を自分たちで考えられる、これも素晴らしいこと。 

こうした挑戦や実践を通じたイノベーションの芽を摘まない社会でありたいなあ。
大人からのこういう悲しい批判が集まる背景には、「自分はこんなにも辛い思いをしてきたのだから、同じ経験をしない人たちはずるい」みたいな感情があるんじゃないでしょうか?

「この辛いことを乗り越えるのに意味がある」みたいな考えです。子供たちの発明によって、多くの人の人生が豊かになればそれでいいのに、、
我が子が入学したときまさに「ランドセル重っ!全然天●の羽じゃない!」と思った親としては子供の意見の方にわかるー!と共感してしまいました。
たまにリュックで登校すると家から学校までの移動時間が5分ほど短縮されてます。(朝の5分は大きい!)

それよりなにより、おかしいと思うことは大人にも自分の理論をぶつける姿勢が頼もしいですね。うちの子供が堂々と反論をいってくるようになったら、イライライライラッとする気持ちはぐっと抑えて、母は母の理論でディベートを楽しんでみたいものです。笑
痛快!アホな大人たちへの子どもの反論。アホ大人は再反論できまい。もっと続けてほしいな。
他方ぼくは申し訳なく思う。子どもがこの商品を開発したのは、大人がランドセルを軽くできなかったから。ぼくらが12年前にデジタルランドセル=PCを提唱した目的の一つは背中を軽くするためだったが、まだデジタル移行できていない。ごめんね、大人はアホで。
子どものランドセル、確かに親から見ても重そう(というか重い)し、その重さを経験する意味ってないように思います。当事者である子どもが「重いからなんとかしたい」と新製品を開発したのには拍手を送りたいし、部外者である大人がどうのこうのいう資格はないと思います。大人のコメントに対する子どもからの返答が痛快で、「いいぞもっとやれ」と思いました。子どもだからといって侮るなよって感じですね。
改善するという思考回路がないんだろうな…。

まず、問題は「ランドセルが重い」というところで、それを解決するためのアイデアなのにいつのまにか「危険かどうか」の議論になっています。片手が塞がせることによる危険を考えるなら、置き勉を推奨すればいいだけの話です。一番初めの、あ、嫌だな、に寄り添わないと問題は解決されないと思います。
大人の批判が説得力がなさすぎて、同じ大人として恥ずかしいです(汗)

危険云々を言うのであれば、キャリーバッグも禁止すべきです。
小学生より大人の方が行動範囲が広い分、よほど危険ですよ。
ランドセル本当に重いですよね。月曜日が特に上履き、給食着
体操着、水着など持ち物が多すぎて、手もふさがり大変そうです。
置き勉も、まだなかなか浸透していないか、許されていないか、で毎日中身もぱんぱんな状態ですから、課題を出して、自らの解決案を考える新しい発想は良いことだと思います。
解決案は実は重いものを解決するだけでなく、他の用途や他の課題にも繋がるアイデアにもなることだってあります。疑問を持って、取り組む姿勢は、小さいころからどんどん備わって欲しいなと思います。