美しいものを「鑑賞する人と創造する人」では、どちらが幸せになれるか?
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注目のコメント
感覚的にわかる気がします。美しいものを鑑賞するというだけでは、結局は自分の力で創り出しているわけではないので、人の力で創り出したものを借りて鑑賞していることに、本当の意味での幸せを感じられないということなのかなと思います。美しい作品に対するある種の嫉妬であったり、そこに主体的な達成がうまれないからなのかもしれませんね。(とはいえ、純粋に美しいものを鑑賞しているだけで、ああ、美しいなと感動して、幸せな気持ちになってきますが...)
創造するということは、自分が主体的な立場でその美しいと感じるものを創り上げるわけなので、その過程でワクワクしたり、工夫したり、そこでもがいたりと、色々なプロセスを踏まえて自分が成長しているということ、そういうものも踏まえて、自然と幸せだと感じていくのだと思います。創造するほうが圧倒的にワクワクする。
鑑賞して感動することは素晴らしい。でもその対象は人が創造したもの。自分の作品ではない。
もちろん創造したいと思うきっかけにはなる。そう思ったら、何か創ってみる。何ができるかわからないワクワク感に気づく。
人生を創ることも素晴らしい創造。自分なりの美しい人生を創って、主観的幸福度をどんどん高めよう。表現活動は突き詰めると、社会への問いかけなのではないでしょうか。
社会という大きな相手に対し、自身の考えを投げかけ、何らかの評価がフィードバックされます。つまり、そこにコミュニケーションが発生しているとも捉えられます。
そのインタラクション的な活動の中に幸福感が生まれると考えれば納得感があります。