THE大組織イノベーターズ_141120_音喜多

都議会イノベーターの卵・音喜多駿

都議会ヤジ事件に火を付けた、元ヴィトンの31歳議員

2014/11/20
今年6月、世間を騒がせた「都議会ヤジ事件」は記憶に新しい。みんなの党・塩村あやか都議の質疑応答中に「お前が産んだらどうか」などと罵声にも等しい野次が議場を飛び交い、旧態依然とした都議会の実情を浮き彫りにした。そんな、イノベーションからは程遠そうな現場に乗り込み、新しい取り組みを続けようとする男がいる。
平均年齢53.8歳の都議で一際目立つ31歳の音喜多駿氏だ。彼は、ヤジ事件をブログで取り扱い今回の騒動に火をつけた。地方自治の現場の非合理を1つずつ変えていこうとする彼の来歴と取り組みを見ていきたい。

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ヴィトンで学んだ女性の扱い方

音喜多氏は、そのキャリアを外資系ブランド、モエヘネシー・ルイヴィトン(LVMH)・ジャパンでスタートする。学生時代から政治家を志していたというにもかかわらず、なぜ外資系企業、しかもヴィトンに行こうと思ったのか。

「姉と妹に囲まれて育った影響もあって、女性の社会進出というテーマに強く惹かれていました。人類の半分は女性なのに、なぜその活躍がいつまでも制限されているのか。それを政治というルールのところから変えて行きたいと考えていたんです。しかしいきなり政治家になれるわけではないので、まずは就職する必要がある。そのときに、女性が力を持っている会社に入りたいと思ったんですよ」

その軸からすればLVMHは最適だった。マネージャーの半分以上は女性で、従業員も7割以上は女性。まさに女性中心の会社といえる。実際、音喜多氏の配属先は9割が女性だった。そして社長はフランス人。そんな異文化に飛び込んでいって、自分と異なる相手を説得しマネジメントした経験は後の選挙活動でも役立つことになる。

入社後、LVMHグループ内の高級化粧品ブランド「ゲラン」に配属され、初めの5年間は営業を担当した。海千山千の女性店員で占められる店舗を15ほど統括するエリアマネージャーと関わる仕事だ。音喜多氏いわく最も類似している職業は「キャバクラの店長」。とにかく女性ばかりの職場で、うまくやっていく術を実践した。冷蔵庫の掃除もやったし、風邪をひいている同僚を見つけるとさりげなく風邪薬もプレゼントした。必要であればオカマ言葉も使って同じ目線に立とうとしたという。

「論理的に説得しようとするのではなく、わかりやすく気持ちの良い言葉を使って相手の共感を呼ぶことを心がけました」

一方で、男らしさという彼固有の「強み」をアピールすることも忘れなかった。複雑な数字の絡む分析は任され、外部の百貨店と激しくやりあうときは最前線に立つ。そうやって信頼の獲得の仕方を学んでいった。

現実的に、最短距離で勝てるところはどこか

その後2年間はマーケティングの部署に移り、ビジネスマンとして順調なキャリアを築く。このまま社内で出世も出来そうだし、仲間と独立して一旗挙げても面白い。

そんな風に考えていた矢先、東日本大震災が起きた。平日は働き土日は東北までボランティアに赴く日々となった。仮設住宅に足繁く通い、現地のご老人の話を聞いているうちに、「いつかは政治家」「将来は出馬」と知らず知らず夢を先延ばしにしていた自分を恥じる。

そこで現実的に、最短距離で勝てる選挙は何かを徹底的に考えた。直近で可能性があるのは2013年の都議選しかない。そこから音喜多氏の選挙に向けた取り組みが始まった。まずは仲間集めだ。当時からブログでの発信は多かったため区外の仲間には恵まれていたが、肝心の選挙区ではまだまだ顔が売れていない。地元の同窓会やお祭りに積極的に顔を出すところから始まった。

そして所属する政党は、みんなの党に決めた。

「他の党がどこも人口のボリュームゾーンである高齢者をターゲットに社会保障などの話ばかりするのに対して、みんなの党だけが、苦労しているのは若者だとして、若者向けの政策をやっていました」

みんなの党がいわば「ベンチャー」政党だったことも大きな理由の1つだ。仮に自民党に入って政治家を目指せば、まずは下積み、次に秘書。その後やっと区議を経験して……国会議員に挑戦できるのは早くとも40代、50代ではないか。そんな思いもあった。

そうして見事公認を獲得。無名新人だった音喜多氏にとって、選挙戦の肝は、有権者に名前を知ってもらうことと、そのための資金面・人材面のバックアップ。音喜多氏は前職の経験を活かし、有権者と協力者の心をつかんでいった。

有権者には分かりやすく気持ちの良い言葉を使った演説で共感を呼ぶ。そして協力者にはとにかく「自分のほしいものを具体的に口を出すこと」を意識したという。

「会う人会う人に、何がなんでも勝ちたいと言っていました。そのために協力してほしい。
スタッフとして時間が割けないなら、お金がほしいです、とはっきり言いました。『結婚した時のご祝儀を今くれると思って、頼む』と」

結果、個人献金を400万円も集めた音喜多氏は、4枠中の4位で見事当選。

しかしそんな音喜多氏を待ち受けていたのは想像以上に古い組織の厚い壁だった。
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コミュニケーション不能な都議会の現場

「都議会はとにかく、『予期しないことが起きるのは許されない』ところなんですよ」

質問も答弁も事前に一言一句決まっており、再質問は慣習上できない。発言の自由がないということだ。ならば議場の外で音喜多氏ならではの人を巻き込む力を使い、超党派で何か発信していく……と言ったことも難しいそうだ。他党の議員と接触すればそれだけで離党かなどと騒がれる。まともにコミュニケーションをとることさえ困難なのだ。

「議員の大半は、前職の区議を務め上げ、キャリアの終着点としてやってきた高齢者。彼らからすると、何も起きてくれないことがベストなんです」

区政と国政の間に挟まれて普段の注目度は低く、監視の目も届かない。それでいて様々な式典には招待され、年収も約1700万もらえるおいしい仕事というわけだ。解散もなく、イノベーションを起こすモチベーションなど湧き上がりはしない。

しかし、音喜多氏はめげずに目の前のことから着手する。人気を博している自身のブログで【都議会議員の給料、すべて見せます!】と情報公開を進めたり、【炎天下に倒れた消防団員…。儀礼の長さは、本当にどうにかならないのか?】と非合理なしきたりに問題提起する。

その一環として執筆した【女性議員に対して「早く結婚しろ!」「子どもは産めないのかっ!」と野次を飛ばす、最低最悪の議会へ】というエントリは、SNS上で瞬く間に拡散。1.6万いいね!を集めたこの記事が火付け役となった「都議会ヤジ事件」はテレビにも取り上げられ、世に知られることとなった。

情報発信で変えられること、変えられないこと

ただ、音喜多氏は、ネットでの発信だけで自分の票につながることはほぼないという自覚も持っている。それなのに何故ここまで発信しようとするのか?

「政治家は、有権者の意見に本当に敏感なんですよ。票につながりそうな話題があれは、われ先に予算をつけて『あれは俺がやった』と実績にしようとします。私が情報発信を頑張ろうとしているのは、ネットを足がかりにそうした話題を増やしていくためでもあります」

例えば、音喜多氏は議会の文書を電子化する「ペーパーレス議会」を提唱している。年間40万枚以上もの紙を使う無駄を減らしたいとの思いから来た提言だが、紙に慣れ親しんだ高齢議員たちからは最初はまったく相手にされなかった。しかし最近になって他党の議員からも賛同の声や提言が来だしたという。彼らも、有権者の「エコ」意識が高まっていることを敏感に察知しているのだ。

「都議会に非合理はまだまだたくさんあります。シルバーパスに160億円の予算をつけている傍らで子育て支援には数十億円しかつけていない。そういう予算不均衡の状態も一つひとつ明らかにして発信して、政治を変えて行きたい」

最終的な野望は総理大臣だと語る音喜多氏。都議会でのイノベーションに成功した後は、国政という舞台が待っている。
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