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ヘアドネーションという罪。「いいこと」がもたらす社会の歪みについて

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  • 電気通信大学 キャリア支援センター 特任准教授

    ぜひ、多くの人に読んで欲しい。
    いいこと、の前提もなんらかのバイアスから発生し、いいことそのものにマウント発生するというお話し。

    ボウズな私は、薄くなってるのもありますが、好きでしてるわけで。そんな私に、ラグビースクールの低学年の子どもたちは「ハゲーー」と大喜びになりますが、ママ勢は気を遣ってるのか「すいませーん」と仰ってたりします。
    そんなところにも、髪があって当たり前を感じる次第です。

    人のスタイルは何でもいいかと思いますけど、やっぱりバイアスに囚われるのは仕方ない。でも、そんなバイアスに自覚的でありたいものです。


注目のコメント

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    丸の内の森レディースクリニック 産婦人科医、医学博士

    考えさせられる。
    “社会の大多数に髪の毛が生えているから、マジョリティー側の人たちに、マイノリティの人が自分を寄せていかなければならない。/ヘアドネーションすらできない人に対して、その行為自体が、無意識に彼らに「髪の毛があることは素晴らしい」というマウンティングのジャブを打ち続けている”


  • 株式会社やまとごころ メディア・コンテンツ事業部

    これはヘアドネーションに限った話ではない。

    話は大きく変わるが例えば「わが社では女性の管理職が〇%」「女性が活躍できる会社」など、そのことが「素晴らしい」「誇れる」こととしてアピールできるのは、社会の中で、「それ」が当たり前になっていないからだ。
    ただし、だからといって「言わなくてもいい」わけではない。社会が成熟しきっていないということ。
    きっと、長い時間をかけて、50年後100年後(もしかしたら、10年後ぐらいにはそうなっているのかも?)には当たり前に育て上げていくべきものなのかもしれない。

    今回のヘアドネーションもそうだが、日本には「寄付」という考え方があまり浸透していない。
    顔の見える小さなコミュニティの中で助け合うというのは、昔から根付いていたが、「知らないだれかのために、寄付をする」という価値観はない。
    だからこそ「髪の毛を寄付することはいいことだ」ということで、ヘアドネーションが取り上げられるのかもしれないなと思った。

    とにもかくにも、寄付に限らず何をするにも「そこにはどんなバイアスがあるのか」「自分分の価値観を押し付けすぎていないだろうか」と問うことは、すごくたいせつだと思った。


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