阪大「伝説の講師」の極意。教養とは「1人でスマホをグルグル回して説明できる力」
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感心するのは、こんな授業としてはつかみの部分で、学生が、こんなに声出すこと。関西だからってのもあるだろうし御本人のキャラもあるだろうけど。
こんな雰囲気にできる地ならし(毎回の講義でのコミュニケーションの賜物)がすごいと思います。身近なものから抽象化して、専門の話につなげていくのも上手い。
注目のコメント
ダイバーシティな物の視点が大事であることは、誰もがわかっていることなのに、いざ現場になると、マジョリティにならった考え方や発言のみで、ほんの一人でも考えたマイノリティの発言が消えてしまうというのは、まだまだある世界なのかなと思います。
開催する側、進行する側としては、その場での発言に誰々と同じ意見で、、とか誰々の意見と全く同じで…という発信を求めておらず、少し違った視点の発言がたくさん出てきてくれるほうが、議論が深くなりますし、自分が見ている世界ではない視点にそういうものの見方があるのかと気づきを与えてくれますから、発信してくれることに対してはウェルカムなのではないかと思うのですが、なかなかマジョリティの考えの発言の後に、違った意見を言うのは壁がある空気なのでしょうか。
ルールとしてどんな発言に対しても、リスペクトすること認めること、その上で自分の違いはこうだと発信するのが良いのではと思います。発言をしてくれたことに敬意を表し、違った視点を認めることで、また人は異なる視点を見よう、探そうと探求しようとします。それによりここで言われる教養が自然と備わっていくのではないでしょうか。私は「万物は水である」という言葉がどうして哲学史の最初のページ載っているかがわかったら、それだけで大学に来た価値がある、と伝えています。
この谷口さんが、阪大で教えていらした科目は「日本国憲法」ですが、これは教職の必修科目です。一方で法学の中の「憲法学」というのは、教職向けの「日本国憲法」とは似ても似つかぬ科目で、文字通り国のconstitution(憲法、構成)を論じる、国家論、国家哲学のような学問です。
「日本国憲法」は法学とは関係のない学生が多数履修するため、谷口さんような教員はとても重宝されます。私も1~2年生で理系も含め、専門外を相手にする講義を持つので、冒頭の質問のように、教養の意味を問いかけるようにしています。経営学の博士課程で必ず学ぶのがscientific rigor vs. practical relevance。極端に言えば、科学的に正しいからといって実務に意味があるわけではないし、その逆もあり。研究者は前者を、経営者は後者を求めがちですが、どちらにふれても世の中的にはよくない。今回のワクチンの認可でもその辺りが問われたと思いますし、これまでしっかりと議論しなかったことが明るみに出ました。