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盛り場の歴史を俯瞰するときに参考になるのが社会学者の吉見俊哉氏による『都市のドラマツルギー』。1920年代の浅草⇒銀座、1970年代の新宿⇒渋谷へと盛り場の重心が変化した背景となる社会構造をうまく読み解いています。

「東京は中心が空虚である」と喝破したロラン・バルトではないですが、東京という街は世界的に見てもユニークな多元的構造を持っていて、何かと何かの「境目」にエネルギーが生まれる場所だ、というのが持論。渋谷も原宿も銀座も秋葉原も上野も六本木も新橋もある東京という街の豊かさたるや。

そういう意味でいうと、渋谷は一つの核でしかない。渋谷も成熟してきましたけど、渋谷の次が生まれるというよりは、メタバースの勃興の中でいち早くリアルとオンラインの境目をとらえる街が新たな潮流をつくっていくんじゃないかと思います。

メタバースだけで、未知なる新しいものに遭遇したいという刺激を求める10-20代の欲求が満たされるとは思いませんが、マルチバース的な観点で見ていく時代になるのかも、と妄想。
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これからの渋谷の価値は、大規模再開発をベースにした丸の内や西新宿化(すべての区画が大規模再開発のきれいな街)ではなく、むしろ小規模で地形や歴史に翻弄された建築群がある程度無秩序に立ち並ぶ状況そのものを楽しむ、バナキュラリズムのリアル空間というところにあると思うので、あるレベルを超えたスラムクリアランス的な開発は、長期的に街の体力を削ぐ方向に行くのではないかと思います。

短期的に何か投資と増床効果を回し続けないと成績が上げ続けられない現在のデベロッパーという業態そのものが、街のレジリエンス(この場合は免疫力的な)を殺す作用を持ち始める転換点にあるということをもっとリアルにデベロッパー側が考え始めないと(ひたすら筋肉量を増やすことが健康増進であるような一面的な評価だけでトレーニングを続けるようなことを続けていると)、長期的な都市の健康はむしろ損なわれていきます。まだ都市の身体性の理解とその健康指標の解像度が、実態に対して圧倒的に低すぎるんです。そして都市の場合、人間などの生物と違って、その重要な器官のかなり多くの部分は、その身体の外にあるという事実も、今の評価軸には乗ってきません。

多様な臓器や循環系統が、物理世界だけでなくネットワークベースになり始めている今、この矛盾は急速に無視できないものになり始めています。

東急という企業は、20世紀の新しい拡張的地域(都市と郊外を接続してマルチレイヤに循環器を埋め込む高次社会システム)を開発するという、世界的に見ても珍しい複合度で、新しい社会モデルを実装運営してきた稀有な企業ですが、今必要なのはその焼き直しではなく、21世紀型の新しい都市(この場合の都市は、郊外や地方、田舎まで全部を含むのでこれまでの都市という言葉との定義変換が不可欠)の身体学です。ここには当然、バーチャル・デジタルな世界や循環機能やその身体性も不可避的に含まれます。

もちろん、20世紀型の広域な複合的身体性を既に持っているという点で、東急には相応のアドバンテージがあるわけですが、今後の選択肢は、少なくとも単純に渋谷というエリア単体をビジネス街化するか否かという話ではありません。系全体の機能分化とこれまでにない再配置が進む中で、「都市」ならでは、「渋谷」ならではの特性とバランスを広域に考えることが重要です。
とても面白いですね
パルコにしても、109にしても若者ではなく一貫して「大人」を狙ってきたとのこと
ただ、一番知りたいギャルなどがセンター街に集まるようになった理由は特に書かれておらず。109は大人路線に行き詰まりターゲットを変えたようですが、109の理由だけではないはず
DCブランドの発信、ギャル文化、ストリートカルチャー、ネットベンチャーなどこれだけ様々な文化を発信してきた街はないですね
ただ、百貨店の衰退にも同じことが言えますがインターネットの普及により「流行などの情報発信」をリアルな場所が担うというのは退潮していく、ということなんでしょう
温故知新、渋谷の街としての歴史は非常に興味深い。渋谷は都市とメディアの融合のケーススタディとして格好の材料だ。本記事にあるPARCOによる文化発信とそれに伴う渋谷の文化中心化は明らかにその後の渋谷の地位を大いに高めた。

起伏が多く道幅が限られるなど特殊なトポロジー(地形)を持つ渋谷は、繁華街を形成する上では、決して効率的とは言えず有利とは言い難い。しかし、それは大資本によるメディアも駆使した(当時は雑誌のような紙媒体が主流だが)文化拠点化は、そこに集う沿線から集う相対的富裕層(とその子女)を吸引し、その地形の特殊性と相まって界隈性を生み、ボトムアップでもサブカルチャーやインディーズ文化を生んできた。

バブル期に、渋谷の吸引力はこうした文化に憧れる一般層へ広がると、バブル崩壊とともに大衆化そして低年齢化する。文字通り、イノベーター理論でいうところの末期へと突入し、PARCOが立ち上げ、東急が加速させた「渋谷」は消費つくされてしまったわけだ。

そうした中、2000年前後のビットバレーブームは確かに今後の渋谷を考える上で、大きな参照ポイントになるだろう。インターネットを始めとした最新テクノロジービジネスはそもそも文化創造そのものであり、そうした「人」を惹きつけ、彼らが創造と発信活動を行う場としての象徴性(拠点性ではない)を有することが、「新しい渋谷」としての新規蒔き直しと考える。

それは決して、都市を整地し、床効率を上げた不動産整備によりオフィス転用していく、ということではない。トポロジーを活かし、歴史的・地理的コンテクストを活かし、沿線住民や数多の来街者も巻き込んだエコシステムの場として機能することが求められる。

PARCOの着眼点は極めて慧眼だったのだが、今後求められるのは旧来のマス消費市場形成ではないし、ましてや丸の内型のビジネス街形成でもない。より個々を巻き込んだ仕組みを持ったものである必要がある。
秋葉原がラジオパーツ→家電→PC→オタクの街へと変貌したように、渋谷も住宅→歓楽→若者の街へと変貌した。いま若者は「郊外とデジタル」に移行し、渋谷は「ビジネスの街」に変わるという。見届けたい。
今もあるかはわかりませんが、渋谷の東急本店の一階に、昔の渋谷を再現したジオラマが展示されていて、行くたびに息子がかじりついて見ていました。そんな東急本店も来年1月で営業を終了するとのこと。LVMHグループとの再開発が予定されているそうですが、東急本店地下のワイン売り場とバーが好きだったので、個人的には寂しさを感じます。
とても面白い記事でした。
ウン十年前、田舎から出てきて初めて渋谷のスクランブル交差点に立った時はあまりの人の多さと活気?に圧倒されたのを思い出します。
当時から若者でガヤガヤした雰囲気のセンター街と、パルコとか109とか田舎者からするとハードルの高いおしゃれな施設もあって、非常に近接したエリアに様々な顔を持ったカオスな街だなと思っていました。
おじさんになって渋谷自体に行く機会は減りましたが、スクランブルスクエア側の景色の変化は驚くばかりです(あと渋谷駅ダンジョンの難しさにも呆然とします)。渋谷の多面性がまた増えるならいいのですが、何かカオス感が消えてキレイな普通のビルの街の顔になってきた気もします。
おじさんの感想でした。
公園を意味するパルコが公園通りにあり、渋谷駅から代々木公園まではオシャレな店が並んでいました。

パルコのキャッチコピーは目立ちましたが、普通の大学生だった私にはパルコでの買い物は縁遠いものでした。

東急本店が閉店になると聞いて衝撃を受けました。
東急百貨店の旗艦店であり、高級住宅街である松濤の富裕層によって安定していると思っていたのですが…。

今は再開発がすすんでいる池袋の方が利便性が高く、娘が高校生の頃はよく池袋で同級生や部活の部員と集まっていました。
ディスコの話がまったく抜けている。80年代ラスカラがあり、キャンディキャンディがあり、ビッグアップルがあり、明らかな西武線沿線感のある新宿のディスコとは一線を画した渋谷の客層がいた。半分以上は地方出身者だけど。
街に歴史あり、こんなの知らなかったです!「今ではライバルのイメージが強い両社ですが、60年代前半には東急と西武が、西武百貨店渋谷店の場所に共同で商業施設を立ち上げるという計画」があったとのこと。そして渋谷パルコに109、IT企業の集積...面白かったです。
関東から東北を中心とした国内最大手の鉄道事業者。鉄道を中心とした運輸業部門が収益の大半を占める。不動産業や駅ビルを中心とした商業事業も拡大。
時価総額
3.29 兆円

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