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元日本代表監督イビチャ・オシム氏が死去 80歳 古巣クラブのHPが伝える

スポーツ報知
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  • デロイトトーマツFA スポーツビジネスグループ Senior Vice President

    オシム元代表監督がお亡くなりになられたそうです…。
    日本サッカー界だけでなく、スポーツの本質的な価値を多くの人々に伝える伝道師としての功績は計り知れないものがあると感じます。
    心からご冥福をお祈りいたします…。


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  • 株式会社ケアサービス 代表取締役社長

    最後に見たのは、一昨年の中村憲剛の引退セレモニーでのメッセージ映像だった。すでに顔が痩せこけていたので、ある程度ご本人やずっとそばにいたアシマ夫人も死期が近いことは覚悟はしていたと思う。

    書籍が日本ではたくさん刊行されているし、インタビューも晩年まで受けていたので、イビチャオシムの人となりや功績は知られていると思う。

    民族対立が激化していた旧ユーゴスラビアにおいて、1990年のユーゴスラビア代表はこの人が監督でなかったら、絶対にまとまらなかった。すべての民族から尊敬を集めていた。

    その後の内戦において、上述のアシマ夫人や子供たちと離散してしまうが、自分の存在を家族と母国に伝えるが如く、その間に指揮したギリシャのパナシナイコス、オーストリアのシュトルムグラーツでの快進撃は凄かった。

    家族と再会を果たし、おそらく欧州の名門クラブから数多くのオファーがあったにもかかわらず、次の指揮に選んだのが、Jリーグでも弱小だったジェフユナイテッド市原。
    そこから日本代表監督に至るまでの話は皆さん知っていると思うので、割愛するが、希代の名監督であるはずなのに、戦争や国内の勢力争いに翻弄され、家族も失いかけた中で、そこで選んだ定住の地が日本だったという運命に、我々日本のサッカーファンは感謝しなければならない。

    1964年の東京五輪でユーゴスラビア代表として来日した際に、初めてカラーテレビを見て、自転車で街を駆け回り、農家のお婆さんから梨をむいてもらって食べたそうだ。
    とても料理が好きな人で、千葉の自宅近辺の商店街の魚屋や八百屋で買い物をして、自ら料理を振る舞った。
    2004年シーズンからは、息子のアマルオシムもジェフ千葉のコーチングスタッフに加わった。(2006年から監督に昇格)当時GMの祖母井秀隆氏曰く、イビチャは最初はアマルを加えることに猛烈に嫌がったらしいが、やがて娘さんも来日し、アシマ夫人と娘さんをホームスタジアムのフクダ電子アリーナで見かけるようになった。
    一家で日本に暮らすことになったのは、とても嬉しかったのではなかろうか。

    今、ウクライナで同様に、運命を翻弄されている人々やアスリートが多数存在する中で、オシムがこの世を去ってしまったのは本当に考えさせられる。ご冥福をお祈りします。


  • MBA × 国家資格キャリアコンサルタント × HRBP(人材・組織開発)

    オシム氏が亡くなってしまいました。

    もし日本代表が一度はオシム氏に率いられていたらどんなチームになっていたのでしょうか。日本人の特質も良く知っていたそうで、強いチーム作りになったのではないかと今でも思っています。

    ご冥福をお祈りいたします。


  • NewsPicks Premium 法人 マネージャー

    これは本当に悲しい。最近のインタビューでは体調の悪さは感じられていたけれど、ついにその時が来てしまった。

    心からご冥福をお祈り致します。

    あの決して強くはなかった当時のジェフ千葉が、生まれ変わるように魅力的なサッカーを見せるようになったことは、トップの行動、言動で組織がここまで劇的に変わるという奇跡を目の当たりにし、当時小学生の私の人生さえも変えてしまうような体験でした。

    そんな氏の半生をまとめた、木村元彦さんのオシムの言葉は人生の書となるほどに大切にしています。

    ご本人には、そんなものにすがるなと言われてしまいそうですが、オシム氏の見せてくれたサッカーやチーム、そして数々の言葉が、
    気づかぬうちに自分の人生の指針となっていました。彼の存在がなければ、今自分がベンチャーと呼ばれる企業に来ることも決してなかった。

    ビデオでしかみることは叶いませんでしたが、ユーゴスラビア時代に戦争に翻弄されながらも作り上げたチームは、今も伝説のチームで、もっともっとこれからもオシム氏のサッカーを見てみたかったし、話を聞いてみたかった。

    このコロナ禍や、今も氏の故郷からそう遠くない場所で続く戦争が落ち着くことを願いつつ、花を手向けにボスニアの地を訪れたい。そしてその帰りはたくさん世界のフットボールを見てこよう。

    安らかにお眠りください。


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