【漫画第2話】夫を喪った妻子に、日蓮は何を説くのか
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日蓮というと弾圧されたりしていたので、過激なイメージがあった。
しかし、それは幕府に対してであり、庶民にはどこまでも寄り添っていたというのが今回の発見だった。
死後の世界に救われるといった言葉で逃げなかった。悲しみの中にいる人、才能がなくて苦しむ人に寄り添った。今でいうケアの人が日蓮だった。
その思想には、全ての人を対等に見つめ、尊いと思う心がある。まあしかし思うのは、結果として日蓮の理想(現世における幸せ)をもたらしたのは宗教ではなく科学技術であった、ということ。
詳しくはピンカーでも読んで欲しいですが、日蓮が生きた中世と現代を比して、ほぼあらゆる不幸の指標は劇的に下がっています。殺人や戦争など暴力による死亡率、乳幼児死亡率、貧困率、平均寿命、健康寿命・・・。もちろん世界にはまだ取り残されている地域は多くありますが、それを含めてもこれら世界全体の「幸福度」を見れば、現代は800年前の理想をほぼ実現したとも言える。それを可能にしたのは、結局は南無阿弥陀仏と唱えることではなく、子どもたちに教育を施し、科学が無知を追払い、技術が不可能を可能にしてきたからです。戦争に関して言えば、宗教が戦争の原因になった例は枚挙にいとまがなく(十字軍とか)、もちろん道徳的観点から暴力を防ぐ力にもなった面もあるのでしょうが、それがネガティブな面と比較して如何程だったか。未亡人の問いに対して、僧侶はどのように答えるのでしょうか?
①会える
②会えない
③会えるのでも会えないのでもない
①は、それぞれ個としての人が浄土へ行くから、未亡人も夫と再開できるという立場。
②は、輪廻してしまうので再会が難しいとする立場。あるいは、そもそも死後の生の否定。
③は、本来的に夫と未亡人との区別が存在しないとする立場。個人を個人たらしめているものは霊魂ではなく「縁」(関係性・文脈・記憶など)であり、従って死後はその「縁」が解けるので、現世的な意味での「私」が「彼」に会うということはない。しかし、「私」や「彼」といった区切りを超越した何か一体のもの、一切を含んだものとして救済されるので、その意味では会えないということでもない。
③の説明はちょっとウパニシャッド的かもしれません。同じ結論であっても、異なる説明があり得そう。
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