テレビイノベーション

「ノイジーマイノリティ」と「表現の自由」を考える

テレビはどうすれば面白くなるのか

2014/11/14

ノイジーマイノリティの増加

前回の連載では、「ノイジーマイノリティー」がテレビを退屈にする構造について記したが、今回は、「では、テレビはどうすれば面白くなるのか」について考えてみたい。

今は炎上やクレームに非常に弱いテレビだが、昔はテレビにもクレームに対する耐性があった。「子供に見せたくない番組」にランクインしようと、番組が表現を控えつまらなくなるようなことはなかった。しかし今は、ノイジーマイノリティの圧力に耐えきれず、自ら無難な演出をするようになってしまった。

元々、ネットのノイジーマイノリティはごく少数だった。しかしネット上で炎上騒ぎが起きれば、企業が謝罪し、テレビ局が番組内容を変更し、タレントがブログやSNSでお詫びするのを目にして、ノイジーマイノリティは徐々に増えていった。何か、自分が不愉快に感じ自分の価値観に合致しないことがあると、それをつぶすような発言が頻繁に起きるようになった。

文句をつけられるネタが見つかれば、すぐに電凸する(抗議の電話をかける)のは、ネット原住民だけではなくなった。そのパワーは決してバカにできない。人数は少なくても発言回数の多さと発言内容の過激さで、普通の人に「世の中の主流はこっちなんだ、これが正しいんだ」と誤解させることができる。

普通の人を巻き込んでいく力は、決してあなどれない。何しろ自分たちはマイノリティではなく多数派だと思わせる仕組みを、ネット自体が内包しているのだから。

問題はコメントの中身ではなく…

となると、ノイジーマイノリティは力を増強していき、テレビはますます畏縮し、つまらなくなっていかざるを得ないのか。この点についても、GALACの記事で、川上さんが注目の発言をしている。

──ニコ動では極端な意見とか、人を傷つけるような意見が出てきた場合に、それを制限することはお考えになってますか?
(中略)

川上:「最初に制限しなければいけない言論の自由は、他人の言論の自由を妨害しようとする自由ですよ。これを基準にコメントとか削除しようと今思ってるんです」

(中略)

「反対意見を言うと炎上させるぞみたいな同調圧力とか。あれは取り締まる優先順位が一番高いと思ってますし、一部はもう始めてます」

──つまり、コメントの中身の問題ではなく…。

川上:「はい、手法の問題です。自分の意見以外の意見は許さない、言わせないっていう目的のコメントです。ひどい書き込みを見ると、みんな、こういうのは駄目だと思うんですよ。思うけど、大多数はそこで黙っちゃう。で、黙らない人たちっていうのは空気を読まない、本当にとんでもないのだけが濃縮されていく。やっぱりそういうのは早いうちに芽を摘んだほうがいいのかなと思ってますね。サイレントマジョリティがちゃんと発言できるネット空間を作るのが重要じゃないかなと思います」

川上さんとニコニコ動画に期待するところは大きい。しかしそれだけでなくテレビ側も、クレームに対する耐性をつけなければならないのではないだろうか。ノイジーマイノリティによる実態以上の抗議や苦情の大きさをしっかり見定め、必要以上に畏縮しない勇気を持たなければならない。

ノイジーマイノリティを見極める

実は打てる手はそれほど多くない。テレビはネットという世論に与える影響力が弱いからだ。数少ない手の中でとりあえず期待できそうなのは、視聴者・ユーザーとのコミュニケーション・チャンネルの確保ではないだろうか。

TwitterやFacebookでIDを持ち、ユーザーとのコミュニケーションを通じて共感を作っていく。公式的な発言だけではダメで、「中の人」を感じてもらうことが必要だ。

ユルいコメントで多くのユーザーから支持された@NHK_PR1号さんが、参考になる。今はNHKを退社してしまったが、彼が書いた『中の人などいない』(新潮社刊)は名著であり、テレビ局の広報担当だけでなく、制作や報道の現場も、経営者も必読の書だ。普段からユーザーとのコミュニケーションを構築し、地道に共感を築くことの大切さがわかる。

そしてなにか問題が発生した時は、すかさずメッセージを発する。メッセージの内容や表現は非常に重要で、突っぱねるような事務的なものではダメだ。誠実に、柔らかな口調で、謝るべきは謝り、譲らないところは譲らず、ユーザーを敵に回さないよう、できれば味方になってもらえるように、共感を得る。

ネット上にコミュニケーション・プラットフォームを持たないテレビ局には、ニコニコ動画のように、ノイジーマイノリティの行動を制限することはできない。しかし、ユーザーの共感を得ることで、自らなかなか発言しない大多数の視聴者であるサイレントマジョリティをサイレントではなくすことはできる。

炎上が起きた時、味方にはつかないまでも中立的に受け止め、それを発信してくれるサイレントではないマジョリティがいてくれれば、どれほど心強いことか。ノイジーマイノリティは、表現の自由度を狭くする。表現の自由は、メディアのためにあるのではない。

メディアから情報や楽しさを受け取る視聴者のため、そして自ら情報や意見を発信するユーザーのためにあるのだ。テレビだけでなく、世の中がこれ以上つまらなくならないように、ノイジーマイノリティを冷静に見極めることが、メディアにとってもユーザーにとっても必要な時期が来ているのではないだろうか。

テレビがつまらなくなり世の中がつまらなくなって一番損をするのは、サイレントマジョリティである視聴者・ユーザーなのだから。

※本連載は、毎週月曜日に掲載する予定です(変則的に、月曜日・木曜日の週2回掲載する週もあります)