通知表をやめた公立小学校、2年後どうなった? 子ども同士を「比べない」と決めた教員たちの挑戦
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通知表をやめたことが素晴らしいのではありません。当たり前に行われてきた慣習的なことについて、各教員が自分の意見を主体的に述べ、議論・試行錯誤できる環境が何よりも素晴らしい。
学校は制度・法的な裏付けよりも、誰が決めたかもわからない慣習的なルールが多く、現場では違和感を感じていることも、前例主義的に行われています。現行法や制度内でも、教育委員会や学校の一定の裁量は認められており、慣習的なルールに対する定期的な見直しは不可欠です。
ルールメイキングについて、現場の教員の声はもちろんだが、子どもたちの声にも耳を傾けて、一緒に議論できれば最高の教育(アクティブ・ラーニング)となります。
注目のコメント
最近仕事の面でも言われるようになりましたが、他者との比較ではなく、その子の成長に対して評価するという視点がいいと思います。勉強については、得意不得意や、家でサポートが必要なところなどを伝えてもらえるとありがたいですね。そこそこ理解できて問題なければ、まず良しとする。それ以外に好きなことや得意なところを伸ばし、サポートが必要な部分だけは手助けする。そうすると、その子のデコボコに合った育て方ができるのではと思います。
素晴らしい取り組みを丁寧に追った、素晴らしい記事でした。
工藤勇一さんの『学校の当たり前をやめた。』という本があります。
そこでは、
・それをする上位目的は何なのか?その上位目的は子どものためになっているのか?
・そのための手段は適切か?
ということを学校を挙げて徹底的に考えていくプロセスが綴られていました。
【評価の目的】
子ども自身が学んだことの意義や価値を実感し、目標や課題をもって学習を進めていけるようにすること
【そのための手段】
・評価=通知表、テストの点数など数値で測ることではない
・通知表やテスト点数付けの義務はない。そもそも校内の比較は統計的にも意味をなさない。
・「毎日の授業で子どもの取り組みに声をかける」「提出物にコメントを付ける」も評価の手段。
【廃止後の変化】
通知表を廃止したことで、児童・教員ともに、数値化できないもの(過程や個人間の変化)に着目するようになった通知表をやめた神奈川県の茅ケ崎市立香川小学校の2年間の取り組みを丁寧に追った記事。
何のためにこれをやっているのか?
という根本を問うことを学校がしていることが嬉しい。
校長先生が変わったとしても、文化として根付きますように!