30歳を超えて、女性用風俗へ 求めたのは「自己肯定感」だった
コメント
選択しているユーザー
「コンプレックスを丸ごと受け入れる」私がいちばん自分に求めている姿だと感じました。
またこの記事を読み、処女であることがコンプレックスという考えは、誰もそんなこと言っていないのに「童貞はダサい」という勝手に作られた風潮と似ていると思いました。
常々この考え方が理解し難かったのですが、性的な交渉の機会を持つことがあたかもイケている(彼らにとっては性的な交渉によって承認欲求?が満たされ、自己肯定感に繋がっているのかなという推測です)かのような所謂ナンパ師の界隈と考え方が繋がっているようにも感じます。
自己肯定感について考える機会がこの頃多々あり(たまたま)、第三者の評価を伴う自己肯定感と、自分のみで完結している自己肯定感とに分かれているように思います。
特別誰から褒められるわけでもなく、自分を受け入れて自己肯定感を保てている人がいる一方、私自身は自分の「何者でもない」ということにコンプレックスを抱き、第三者から認められることを求めてしまいます。
人生のどの地点で、この二者の分かれ道があるのでしょうか?
注目のコメント
これは自分の主観なので読んだ人を気分悪くさせてしまったらごめんなさい。
自分は今まで綺麗な子や可愛い子で人間的な深みがある人に会った事は(ほとんど)ありません。
『ああ、自分の好みの子だな』って人目見て思っても、話してみてがっかりする事が多いです。
むこうもそう思ってるでしょうけどね 笑
考えてみると当たり前で、無条件でチヤホヤされてきた事が多い人生だろうから、
創意工夫して色んな人から興味をもってもらおうなんて考えないですよね、おそらく。
だから『自己肯定感』を求めてなんて考える事が出来る人は
それだけできっと素敵な人だと思います。
傷付いて、そこから立ち上がった時に深い人間になるんだと信じたい。
話は変わりますが『ヤマメ』と『サクラマス』って魚ご存知ですか?
以下とあるものの引用です
“ヤマメもサクラマスも生まれた時には違いはなく、同じヤマメの稚魚として川で生まれます。
その両者に違いが出始めるのは、エサを獲り始めるようになってから。
川で生まれたヤマメは生きていくためにエサを探して食べ始めますが、
どの魚も満遍なくエサにありつけるわけではありません。
エサを獲る能力の高い魚はそのまま川で生き残ることができますが、
エサを獲るのが苦手な魚は川で生きていくことができません。
この時、エサを獲るのが上手く川で生き残ることができた魚がヤマメになります。
一方、川で生きていくことのできなかった魚はそのまま死んでしまうのかというとそうでもなく、
エサを求めて川を下って海に向かいます。
海は危険がたくさんあるものの、川と違って豊富なエサがあります。
この過酷な環境の中で生き抜いたヤマメが、60cmにもなるサクラマスへと成長するのです。
渓流の女王といわれるヤマメですが、実は女王にふさわしいのはサクラマスの方かもしれませんね。”これを読んで、セラピーとしての風俗店というのもあっていいように思えました。
ダーティなイメージを払拭し、いわゆる欲望の捌け口としてではなく、本当に癒されたい人が、後ろめたい気持ちを持たずに行けるような、そんな業態を考えてもいいのかも。