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ウィル・スミスの「平手打ち」が、日本人が思ってる以上に「かなりマズい」理由

マネー現代
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    東京大学大学院新領域創成科学研究科 准教授

    断片的に動画を見た範囲ですが、ウィル・スミスがステージに上がった時点では会場の雰囲気はまだ、お、このあとどうなるんだ?という感じだったと思うんですよね。あの平手打ちとFワードで初めて、会場がそのからかいの深刻さに気づいたというように見えました。
    いじめてる当人たちは単にからかってる範囲だと思っていてその深刻さに気づいてないまま、受けている方は強く傷付いている、というイジメの構図にそっくりに見えるんですよね。いじめられた側が耐えきれずに反撃したら暴力反対とか、ちょっとそれはないんじゃないの、と、個人的には思います。
    じゃああの場でどうしたら人々にその深刻さに気づいてもらえて、あなたがやってるのはイジメだし、それを見て笑ってるのも同罪だと伝えられたのか。ジョークで返したら一緒に楽しんでいるように見えたかもしれないし、後で訴訟とかだと何もその場の解決にならないし。コップの水をかけるとかですかね?それも許されるのか分かりませんが。
    いじめられている側がアンガーマネジメントとか考えなければならないんですかね。


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    相模女子大学特任教授 新刊「働かないおじさんが御社をダメにする」

    アカデミーやアメリカ社会の、断固たる暴力を容認せずの態度は、「非暴力」「暴力は許されない」社会であることをよく表しています。家族のための暴力だからと許されては「建前」がゆらいでしまう。アメリカは訴訟社会だからこそ、「建前」を揺るがしてはいけない。 しかし「言葉の暴力」はどうなのか?という問題もあります。人前で容姿をいじる、それも病という自分ではどうにもできない状態をいじるという暴力はどうなのか?
    妻のジェイダ・ピンケット・スミスは自立した女性なのだから、自分で「ロックに抗議したければすればよかった。夫が守るというのは違うのではないか」という意見もありました。本当に許せなければ名誉毀損で訴えることもできるはずです。
    しかし、言葉の暴力が問題視されないのは、アカデミー賞授賞式自体がどぎついギリギリの「いじり」の応酬というお約束があるからでしょう。

    私はTwitterにあった意見「会場がひどいジョークだと思えばブーイングすればよかった。そうしたら防げたのではないか?」という意見に賛成です。

    周囲も「いじり」「ギリギリのジョーク」を容認するのがお約束と思っている空気があり、それこそが改革していかなければならないものかもしれません。

    そしてスミスの受賞スピーチを見て、長年ハリウッドの成功した黒人として「耐えてきた」ことが、ロックの一言で決壊したのではと思いました。女性たちがmetooで声をあげ、BLMでも声をあげ、やっと白人中心主義のハリウッドに多様性の風が吹き始めた。しかしまだまだ本当の多様性を享受できるのはこれからなのでしょう。


  • 「もちろん人の見た目を笑いにするクリスも決して褒められたものではない。しかし、それを差し引いたとしても、身体的および言葉の暴力は、いかなる状況であっても決して許されることではない。」って書いているのに、クリスさんのジョークは言葉の暴力ではないのか? 「言葉の暴力」について何も言及することなく都合よく使い分けられる意味は何なの? 支離滅裂でしかないよね。


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